秋の大人

「大人」という言葉を思う秋の日のエピソード

 

 

一月の成人の日、振り袖やスーツ を着て街をゆく新成人たちを見て、 そのころの自分を思う。もうすっか り一人前になったつもりで得意だっ た。

あのころは、まだ大人の大変さな んて知らなかったから、その気分を 思い出すと恥ずかしい。それに自分 がほんとうに大人になれたかどうか ……。

だからこの日は、ちらりと「大人」 という言葉が脳裏をよぎって終わ り。「大人」には、昔のことを思い出 したり、反省している暇などないと 言ってみたいが、ようするに恥ずか しいから記憶に蓋をして、その先を 考えるのをやめるのだ。

それでも私には、年にもう一度、 「大人」という言葉が脳裏をよぎる ときがある。それがこの、秋の季節 だ。

小学生のときのこと。新学期のあ る日、先生が、「秋はどんな季節で しょう」と尋ねた。スポーツの秋と か、読書の秋、食欲の秋……、先生 はたぶんそんな答えを求めたのだろ うし、私をふくむ多くの子供が口々 にそんなことを発言した。が、中に一人、「日が短くなった」と答えた 子がいて、先生は、「あら、大人みた いなことを言いますね」と目を丸く した。秋分の日を過ぎると、きまっ てこの日のことを思い出す。

 

季節の移ろいに人は人生を重ねる

 

いつも思い出すだけで、このとき も考えは先に進まないのだが、日が 短くなったことに気がつくと、どうして大人みたいなのだろう?

いま ひとたび考えてみるに、大人は季節 の移り変わりを感じられる、という ことなのではないか。そしてその 移り変わりとは、単なる変化ではな い。季節の移ろいに、人は人生を重 ねずにいられないのだ。

もしかしたら、その子供は、遊べ る時間がだんだん短くなってきたな という子供らしい発想で言ったのか もしれない。でも先生が「大人みた いなこと」と感心したのは、先生自 身が、この季節に、寂しさを感じていたせいではないか。

私はもう当時のその先生の年をと うに越したから、先生が感じていた 以上の寂しさを、もしかしたら感じ ているかもしれない。人生の日は、 どんどん短くなるのだ。

けれど、季節はめぐる。日に日に、 日が短くなって、日が早く暮れるよ うになって、もう真っ暗と驚くよう になって、寒い寒い冬が来て……、 でもやがてふたたび昼と夜が同じ長 さになる日がくる。それから今度は、 日が日に日に長くなってくるのだ。

たくさん遊べるようになったと子 供は喜ぶかもしれない。まだまだ遊 べると。

そして大人はそこに希望を見る。 人生、捨てたもんじゃない、まだま だこれからだと。

 

 

ありよし たまお

 作家。東京生まれ。 早稲田大学哲学科、 東京大学美学藝術学 科卒業。ニューヨー ク大学大学院演劇 学科修了。1990年、 母・佐和子との日々を 綴った『身がわり』で坪田譲治文学賞受賞。 『ニューヨーク空間』『雛を包む』『車掌さん の恋』『風の牧場』『恋するフェルメール 37 作品への旅』『カムフラージュ』『美しき一日 の終わり』『ソボちゃん いちばん好きな人の こと』など多数の著書がある。


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