どんでん返し

国際的な仏教興隆の地ナーランダ

 

インド東部の古都コルコタから、空路を北西に飛んで一時間二〇分、ビハール州の州都パトナーに降り立つ。いよいよ、仏跡旅行の始りだ。ここでレンタカーを借り、ナーランダの遺跡を目指し、四時間のドライブ。

水田、畑、荒野を通る狭い一本道だが、ほとんど舗装されていない。車はガタつき、内臓が飛び跳ねる。点在する農家はオンボロで、塀や壁には燃料用の牛糞が塗りたくられている。電気も水道も通らないのは、役人たちが開発予算を喰ってしまうからだと聞いた。

時々、のろのろ進む牛車やポニーの荷車を見かける。この風景は多分、二五〇〇年前と同じではないのか?たった今、前方の道を、釈迦がトボトボ歩いていたとしても、あまり違和感はないだろう。

ナーランダはマンゴーの産地で、果物好きの釈迦が訪れたという俗説がある。しかし、その真偽はさして重要ではない。注目すべきは、紀元前三世紀に、最初のインド統一を成し遂げたアショカ王の業績である。王は、勝ちぬくための悲惨な戦争に辟易、「不殺生」を説く仏教に感動し改宗した。そして、この地に釈迦の一番弟子だった舎 利弗(シャリホツ)の寺を建立した。

これが仏教興隆のきっかけとなり、五世紀から七世紀にかけ、ここに巨大な仏教大学の町が形成された。発掘されているのは一〇分の一程度だが、当時一万人いたと言われる留学生の寄宿舎の跡などを見ることができる。

七世紀には、中国から留学していた玄奘(げんじょう)(三蔵法師)が、大量の経典を本国に持ち帰って翻訳した。要するに、釈迦の死後千年以上も経ってから、仏教はここを拠点に国際的な爆発を起こしたのだ。

 

残虐な権力闘争を背景に育まれた釈迦の思想

 

ここからさらに三〇分移動し、ラージギル市に入る。釈迦の時代に繁栄した五大王国の一つ、マガダ国の城下町である。ビンビサーラ王が釈迦に帰依し、布教活動のスポンサーとなった経緯は興味深い。

それはそうと、旅の途中で認識のどんでん返しが起こった。

私は当初、「少欲知足」や「不殺生」を唱える釈迦の思想は、きわめておだやかな社会環境で育まれたと想像していた。ところが、現地をめぐり、血なまぐさい歴史資料や遺跡などと対面すると、次第に甘いイメージは薄れていった。つまり、釈迦の時代も現代と同様、強欲をバネにした残虐な権力闘争がくり広げられていたのだ。このおぞましい状況に真っ向から立ち向かった釈迦は、時代の反逆児だった。釈迦は、ラージギル郊外の霊りょうじゅせん鷲山に人々を集め、説法を続けた。また、現在の寺の原型となる竹林精舎を造り、出家たちの修行を指導した。

こうした地味でしぶとい努力が継承され、千年後の国際化の源流を作ったのだ。 (続)

 

 

なかむら あつお

元参議院議員、俳優、作家、脚本家。1940 年東京生まれ。東京外国語大学在学中に演劇に興味を持ち、大学を中退、劇団俳優座に入る。65 年にはEWC奨学生演劇部門試験に合格、ハワイ大学に留学し、アメリカ社会の研究をする機会を得る。72 年に出演したテレビドラマ「木枯し紋次郎」が空前のブームになりその後数多くのドラマで主演を務める。84 年にはテレビ「地球発22時」でキャスターを務める。現在、日本ペンクラブ理事、環境委員を務める。著作に『チェンマイの首』『ジャカルタの目』『マニラの鼻』『ごみを喰う男』、『暴風地帯』、『簡素なる国』など。


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