①梅を、探して

春は名のみの梅見

 

年賀状にはよく梅の花が描かれるが、一月はまだつぼみのものが多い。松竹梅のめでたさゆえ、あるいは旧暦の新年のなごりだろうか。旧正月のころには、少しずつ花を見るようになる。といっても年賀状の絵ほどにはまだ咲かず、見頃はさらに先のことだ。

ではその見頃とは、いつのことなのだろうか。

ある年の春、梅見をしようと思い立った。梅の名所はいろいろあるが、そのときは水戸へ。偕楽園へ。ひな流しが園内であると知り、それに合わせて出かけた。

その日は野点も行われ、川では和紙でつくられたお雛さまの乗った六角形の紙の舟が、ゆっくりと流れてゆく。色とりどりの舟が川面をゆく様は、実に雅やかだ。ときに舟はひとところに集まって辺を合わせ、大きな舟になる。そうして寄せては離れてゆく様にもまた心を楽しませたが、梅の方はといえば、これは完全に期待はずれだった。

三月のはじめのことで、梅が園内いっぱいに咲いている様子を思い描いていたものだが、ほとんど咲いていなかったのである。もっともネットで開花予想を公開されているのだから、見てこなかった私が悪いが、見たところでひな流しは捨てがたく、予定を変えたかどうか。

梅という木は、花がないとほとんど枯れ木のように見える。

「せっかく来たのに!」

概嘆しながら、それでもせっかく来たのだからと梅林を散策した。
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梅見の三度の楽しみ

 

今まで梅の枝を注意して見たことがなかったが、こうしてみると枝振りがダイナミックなものもあれば、やさしいもの、またねじれた具合が妙に色っぽいものもある。

そして、よくよく見ると、どの木にも仁丹ほどの愛らしいつぼみがついている。梅の仁丹というのがあるが、あれはすっぱい梅味の仁丹というばかりではなく、梅のつぼみの形の仁丹だったのだ、などと思う。
そのうちに、そこだけがほのかに明るいことろを見つけていってみると、それが花の咲いた木。ほんの数本だったけれど、心がぱっと華やいだ。

梅見こそできなかったものの、それなりに満足して帰ってきたが、あとからこれもまた梅見であったことを知った。

まだ春浅いころ、早咲きの梅を訪ねることを「探梅」というらしい。私ははからずも、この探梅をしてきたのである。

梅とひと口に言うが、実は数えきれないほどの種類がある。それらが時を違えて次々とつぼみをほころばせ、いつしか満開になる。それを愛でるのが「賞梅」。

少しずつ散り始め、遅咲きの梅もまた散ってゆく。それを見送るのが「送梅」。

梅はその季節に長く、三度楽しめる。来る季節、まずは梅を探して歩こう。梅はいつでも見頃なのだ。

ありよし たまお

作家。東京生まれ。早稲田大学哲学科、東京大学美学藝術学科卒業。ニューヨーク大学大学院演劇学科修了。1990 年、母・佐和子との日々を綴った『身がわり』で坪田譲治文学賞受賞。『ニューヨーク空間』『雛を包む』『車掌さんの恋』『風の牧場』『恋するフェルメール 37作品への旅』『カムフラージュ』『美しき日の終わり』『ソボちゃん いちばん好きな人のこと』など多数の著書がある。


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