②ランドセル、しょって

桜の季節に始まる新しい一年

 

何か新しいことを始めるのに、春というのはいい季節だ。というのは一種の刷り込みなのだろうか。子供のころから毎年毎年、四月に学年が上がり、桜咲く中で新学期が始まった。桜→新学期のイメージがある。

ただ、刷り込みもさることながら、寒かった冬がようやく終わり、草木が芽吹き、花が咲けば、おのずと心に希望も満ちてくるというもの。この季節に一年の始まりを持ってきたのは正解だと思う。

といっても、さすがに大人になって、毎年この季節に希望をもてるかというと、そのあたりはあやしい。うららかさが恨めしいときも正直いってあるが、そんな中でも真新しいランドセルを背負って得意げに歩いている新入生を見ると、当時の気分を思い出す。自分も、こんなに小さかったのかな。でも心は、身体よりも大きな希望であふれていた。

私は朝、一番のりに学校に行く小学生だった。障子の家に育った私にとって、カーテンはあこがれの的。朝一番に教室に行けば、大きな窓にかかったカーテンをあけることができる。

真ん中の光の隙間に手を入れて、カーテンの端を持って走る。カーテンレールが鳴る、シャーッという音が好きだった。急いで真ん中に戻って、今度は後ろにシャーッ。朝の光に満たされた教室はすがすがしかった。

それがだんだん二番になり、三番になり……。いつの間にか遅刻もするようになってしまった。教室に一番のりしてカーテンをあけたあの気持ち、真新しいランドセル姿を思い出す。
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何か新しいことを始めたくなる季節

 

さて、得意げに歩いている新入生たちが、小さな身体にランドセルはまだ少しばかり重たいらしい。ある日、電車に乗っていたら、小学生五人と、中の一人のお母さんが乗ってきて、お母さんはは五つのランドセルを持たされていた。そういえば、私も友達とジャンケンをして、負けた方が勝った方のランドセルを持って次の電柱まで歩く、なんてこともやりましたっけ。

とはいえ、いくら大人でも五つのランドセルとは気の毒だ。席を譲り、なんとなくお母さんと話をすることになった。子供たちもそばに来たが、一人降り、二人降り、お母さんも自分の子供を連れ、挨拶をして降りていったら、一人残った子が所在なさそうにしている。私と話をしたものかどうか迷うのか、ちらちらとこちらを見ながらも、ドアのそばに立ち、自分が降りる駅に早く着かないかと待っているようだ。

ドアがあくと、ほっとしたような表情で降りてホームを走っていった。知らない人とは話をしないようにと、家で学校で教わっているのだろう。

初々しいなあ。新しいことを教わり、素直にそれを学んだ日々のことを思い出す。私もまた何か新しいことがしたくなった。

ありよし たまお

 

作家。東京生まれ。早稲田大学哲学科、東京大学美学藝術学科卒業。ニューヨーク大学大学院演劇学科修了。1990 年、母・佐和子との日々を綴った『身がわり』で坪田譲治文学賞受賞。『ニューヨーク空間』『雛を包む』『車掌さんの恋』『風の牧場』『恋するフェルメール 37作品への旅』『カムフラージュ』『美しき日の終わり』『ソボちゃん いちばん好きな人のこと』など多数の著書がある。

 


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