季を遊ぶ

文=有吉玉青

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歳をとったと言うのは 一種の気取り

 

この連載を読んでくださっている方から、先日、こんなことを言われた。

「どうしていつも、自分がすごく歳をとっているように書くんですか?まだ若いのに」

確かに私はこのところ、まだ子供だとばかり思っていた近所のお嬢ちゃんがお母さんになっていることを知り、自分も歳をとるはずだとし みじみしたり、歳をとったせいか花粉症が軽くなり、これからはお花見が楽しめるなどと、自分がすっかり老いたと言わんばかりのことを書きつらねている。

まだ若いのに、に関しては、相対的なものもあるからわからない、私は一九六三年生まれで、現在五三歳。この歳は母・佐和子が他界した年齢にあたる。それ以前、それ以後で何かが変わるはずもないのだが、個人的に大きな節目を迎え、自分が歳をとったような気分になっ いるのかもしれない。

あるいは、歳をとった、と言ってみたいのかも。学生の頃、それこそ若い、若さまっさかりの頃、自分たちをもうオバサンだと言って笑ったものだった。三十になると「三十の声を聞いて、めっきり体力がなくなった」などと言って喜んでいた。 こうしてみると、歳をとったと言うのは一種の気取りで、「私はもう大人なのよ」と言っているのと同じことだったのだろう。

(‥‥‥続きはVol.33をご覧ください)

ありよし たまお

作家。東京生まれ。早稲田大学哲学科、東京大学美学藝術学科卒業。ニューヨーク大学大学院演劇学 科修了。1990年、母・佐和子との日々を綴った『身がわり』で坪田譲治文学賞受賞。『ニューヨーク空間』『雛を包む』『車掌さんの恋』『風の牧場』『恋す るフェルメール 37作品への旅』『カムフラージュ』 『美しき一日の終わり』『ソボちゃん いちばん好きな人のこと』など多数の著書がある。

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