季を遊ぶ

文=有吉玉青

夏の妖精たち

妖精は必ずも愛らしいものではない

 

妖精を信じている、とまでは言わないが、いたらいいなとは思ってい る。また、たとえば止まっていた時計が何かのはずみに動き出したとき、それを妖精のしわざだと思う感性にあこがれる。もともと妖精は、 自然現象が科学によって解明される以前、その原因と考えられていたが、北欧やイギリス北部の地には妖精伝説がたさん残っていて、今でもふつうの会話の中に妖精が出てくることがあるらしい。

妖精といえば、まずピーター・パンの相棒、ティンカー・ベルを思い出す。背中に小さな羽をつけ、自在に飛びまわるキュートな妖精。「ティンカー」が鋳掛け屋の意と知ったときは、妖精に職業があることにかなり驚いたが、最近、その比でなく驚いたことがある。

北欧に駐在していた人の話を聞い たところ、妖精は必ずしも愛らしいものではないというのだ!

それで 妖精の図鑑などを見てみると、確かに……。

あらためて思えば、妖精の「妖」は妖怪の妖。一字違うだけでずいぶんイメージが違うが、 Fairyの訳語に 「妖」の字を使ったからには、日本にも、まずは不気味なものとして入ってきたのだろうか。

 

妖精のイメージを変えたシェイクスピア

 
この不気味な存在を、今、私たちが妖精といえば思い描く、小さく愛らしいものにしたのは、ものの本によるとシェイクスピアの力が大きいらしい。たとえば『夏の夜の夢』には愉快な妖精たちが登場し、中でも悪戯な妖精パックはチャーミングだ が、それにしても、以来、妖精のイメージが変わっていったとは。ティンカー・ベルも、シェイクスピアが いなかったら生まれなかったかもしれないのか。

このイギリス、エリザベス朝時代 の詩人・劇作家は偉大すぎて、どこがどう偉大なのかはとても言えない が、その一端にふれた思いだ。人々の中で長年にわたって伝えられ、ぐくまれてきたイメージが変わっていったのは、それだけ彼の創り上 げた妖精像が人々の心をつかんだ、 人々の心の奥底にある思いに合致したということなのだから。偉大さの 一端、あるいはこれこそが偉大さと いうものではないか。

ところで、この有名な戯曲のタイ トルだが、私は最近まで、ずっと『真 夏の夜の夢』だとばかり思ってい た。原題は A Midsummer Night’ s Dream で、このミッドサマーは夏至 祭のことなのだそうだ。真夏のほうが座りがいいような気もするが、 夏至は暑くても真夏ではないし、イギリスではまだ涼しい。ちょっとうらやましい、涼しい夏の夜の夢物語である。

ありよし たまお

作家。東京生まれ。早稲田大学哲学科、東京大学美学藝術学科卒業。ニューヨーク大学大学院演劇学 科修了。1990年、母・佐和子との日々を綴った『身がわり』で坪田譲治文学賞受賞。『ニューヨーク空間』『雛を包む』『車掌さんの恋』『風の牧場』『恋す るフェルメール 37作品への旅』『カムフラージュ』 『美しき一日の終わり』『ソボちゃん いちばん好きな人のこと』など多数の著書がある。

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