雪の日の虎

晩年に至るまで旺盛な 北斎の創作意欲

 

二〇一七年は、北斎イヤーだった。日本のあちこちで葛飾北斎展。 私が気づいただけでも五つあり、その中の上野の国立西洋美術館の〈 斎とジャポニズム〉展は、二〇一八 年の一月まで続く。

こうした盛り上がりに背中を押され、大阪のみで開催された〈北斎 ―富士を超えて―〉展に足をはこんだ。大阪に行く機会があり、時間があいたからちょっと覗いてみようか、くらいのつもりだったが、入場券売り場には長蛇の列。驚いたが、 展示を見るや大盛況に納得した。北斎はとにかくうまい! 面白い!今 さら言うまでもないことだが、そうとしか言いようがない。そして絵に賭ける情熱がまた、素晴らしいのである。

その展覧会は、絵師が六十歳頃から、一八四九年に数え九十歳で亡くなるまでの三十年に焦点をあててい た。創作意欲は晩年に至るまで、衰えるどころかいや増すばかりである。

絵師は還暦を迎える頃に「為 一(いいつ)」 と名を変えている。干支がひとめぐりして「一」に戻るということらしい。絵師に定年はないものの、ひとまわりしてひと息つくどころか、人生これからと言わんばかりに、それまでに積んだ研鑽の成果を次々と発表していく姿は見事。おそらくは誰もが見たことのある、小舟につかみかかるような大波の向こうに富士山を望むダイナミックな浮世絵の版画 (「神奈川沖浪裏」)をはじめとした 『冨嶽三十六景』は、絵師七十‐七三 歳頃の作なのである。

 

虎も北斎も世界に融けて ただ雪が降るばかりの冬の日

 

快心の仕事を終え、絵師はまた、別七十半ばで名前を変える。今度は「卍」と。すべて、常という意味らしいが、まさに絵師はすべてを描く。 自在な筆は、人物、風景、花鳥風月 ……、それ以上のすべてを。

最晩年の肉筆画「雪中虎図」は、文字通り雪の中を翔る虎の絵だが、描 かれているのはそれだけではない。 そこには、北斎その人の境地があった。

雪降る世界に遊ぶ虎は悦楽の表情 を浮かべ、もはや自分の内と外の区別がつかず、世界と一体化してゆくようである。それはまた、北斎が絵を描くことで、自身がこの世界に気持ちよく融けてゆく様のようでもあ る。

絵には、長生きして絵を極めたいという思いで作った「百」という落款が押されているが、北斎はこの年に世を去った。「あと十年、いや、あと五年生きられたら本当の絵師になれるのに」という言葉が伝わっている。これ以上、どんな高みをめざしたのだろう。

絵に深く感銘を受けたあとでは、 来たる冬、雪降る日には、北斎の虎が、北斎の姿が見えそうな気がする。いな、もう虎も北斎も世界に融けて、そこにはただ雪が降るばかり、積もるばかり。

ありよし たまお

作家。東京生まれ。早稲田大学哲学科、東京大学美学藝術学科卒業。ニューヨーク大学大学院演劇学 科修了。1990年、母・佐和子との日々を綴った『身がわり』で坪田譲治文学賞受賞。『ニューヨーク空間』『雛を包む』『車掌さんの恋』『風の牧場』『恋す るフェルメール 37作品への旅』『カムフラージュ』 『美しき一日の終わり』『ソボちゃん いちばん好きな人のこと』など多数の著書がある。


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