Artブリューゲル「バベルの塔」展

《バベルの塔》にみるブリューゲルの深層

 

文=太田治子

 

 こども心に焼きついていた《バベルの塔》の不思議

 

子供のころに、繰り返し眺める一枚の絵があった。ブリューゲルの《バベルの塔》である。その絵は、母の大事にしていた泰西名画 集の中にあった。倉庫会社の食堂 に勤める母の帰りを待ちながら、「かぎっ子」の私はじっとその絵をみつめていた。

それはみればみる程に不思議な 絵に思われた。蜂の巣にも似た奇 妙なかたちの高い建物の上の方から、黒い煙のようなものが吹き出 ている。まだ最上階のあたりは、 建築半ばである。明らかに未完成のこの建物は、そうやって階の上 から火事になっているという気がした。その証拠に土色の建物は煙 の吹きだしたあたりから、赤く染 まっていた。下の階では、羽虫の ように小さな人間たちがぞろぞろと歩いているのがみえた。建築中ということで働いている人間もい れば、無心に行進しているだけの 人間もいる。だれもが、上の階が火事になっていることに気が付いていないように思われた。

「危ない!   火事ですよ。早く逃げ だして下さい」

いつも私は、絵をみつめるうちにそう大きな声で叫びたくなるのだった。

今からおよそ30 年前、オランダを初めて旅した。ロッテルダムの ボイマンス美術館で、本物の《バ ベルの塔》と対面したとき、何と私が長い間火事の煙かと思っていたものがたなびく黒雲だったことに気付いたのである。しかし、その黒雲は風雲急を告げる不吉なも のに感じられた。塔の赤い部分は、やはり燃えているとしか思えなかった。血のように赤いという感じもするのだった。

 

ブリューゲルの作品に影を落とす宗教戦争

 

どうして、ブリューゲルは、こんなにも恐い絵を描くことができたのだろう。オランダから、ブリューゲルゆかりのベルギーの首 都ブリュッセルへ向かう列車の中 でも、ずっと私の頭は《バベルの塔》 のことでいっぱいだった。

16 世紀半ばにネーデルラントで 活躍したブリューゲルの絵の中には、のどかな農村生活を描いたものもあった。彼も時には農民の格好をして、村の祭りや結婚式にす ましてでかけることもあったという。ヨハネス・ウィーリクスの描いた《ピーテル・ブリューゲル1 世の肖像》の謹厳な横顔からは想像もできないほど、お茶目なところがあったということだろうか。

しかし一見平和な田園風景の絵もよく見ると、恐ろしい絞首台が堂々と描かれていたりする。そうした恐ろしさは、《バベルの塔》の 絵の中の恐ろしさにもつながっている。ブリューゲルは、いつも心の内に恐怖を抱えていたことがわかるのだった。ブリューゲルの生きた時代は、カソリックとプロテスタントの間の血なまぐさい争いに明け暮れていた。

ブリュッセルで彼が晩年を過ごした家の前に立った時、私はその家の窓からは絞首台がみえていたということを思い出した。《バベル の塔》は、この家で描かれていた。 久しぶりに上野でみることのできる《バベルの塔》から、私は何を感じるだろうか。

 

ピーテル・ブリューゲル1世 《バベルの塔》 1568年頃、油彩、板 Museum BVB, Rotterdam, the Netherlands

ヨハネス・ウィーリクス 《ピーテル・ブリューゲル1世の肖像(部分)》 1600年 出版 エングレーヴィング  Museum BVB, Rotterdam, the Netherlands

〔展覧会〕ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展 16世紀ネーデルラントの至宝─ボスを超えて─

〔会期〕2017年4月18日(火)~7月2日(日)

〔開室時間〕9:30~17:30(金曜日は20:00まで 入室は閉室の30分前まで)

〔休室日〕月曜日(ただし5/1は開室)

〔観覧料〕一般 1,600円、大学生・専門学校生1,300円、高校生800円、65歳以上1,000円

 

東京都美術館 企画展示室

〔住〕台東区上野公園8-36 

〔問〕03-5777-5600(ハローダイヤル)

おおた はるこ
明治学院大学文学部卒業。76~79 年NHK「日曜美術館」の初代司会アシスタントを務める。86 年『心映えの記』で第一回坪田譲治文学賞を受賞。朝日カルチャーセンター(新宿・横浜)、NHK文化センター(八王子、町田、横浜ランドマーク)よみうりカルチャー横浜でエッセイ・美術鑑賞の講座を持つ。著書に『時こそ今は』(筑摩書房)、『夢さめみれば―日本近代洋画の父・浅井忠』(朝日新聞出版)、最新刊は『星はらはらと二葉亭四迷の明治』(中日新聞社)。


新着記事

おすすめ記事

児玉清さんが遺したことば

浜美枝さんの箱根

Present

WEB限定プレゼント

Category

from Readers

Club