箱根寄木細工、千年のロマン

文=露木清勝

小田原の柏木美術鋳物研究所とのコラボで制作した呼び鈴。 澄んだ美しい音色が響く

平安時代、木地挽(きじひき)の京都職人が定住した地

 

箱根寄木細工が箱根の畑宿に誕生して、二百年余りの時が刻まれています。今では、名実ともに箱根の統工芸品として内外に広く知られるようになりました。しかし、「ローマは一日にして成らず」箱根寄木細工もその誕生には、長い歴史の道のりがありました。

現在、私の工房は小田原に在ります。その目の前に酒匂川が悠然と相模湾に注いでいます。この土手沿いを毎朝ウォーキングしながら、自然からの大いなる刺激を受けるのが、私の一日の始まりです。晴天の日には正面に富士山がその雄姿を現し、左手に箱根の明神ヶ岳や外輪山から二子山まで一望のもとに望む事が出来ます。これらは四季折々に、いや日々毎日その表情を変え、私の前に迫ってくるようです。

この雄大な自然の呼吸を、平安時代この地に遠く京都よりたどり着いた職人たちも、同じように感じたのか、この小田原をものづくりの地として定住し「木地挽」(木工轆轤(ろくろ)で 椀や盆を作り出す技法)の仕事を始めました。木地挽の祖惟高親王(これたかしんのう)をお祀りした、同市早川の紀伊神社 は、遠く平安からの「惟高親王伝説」 が今も伝えられています。この当時の職人たちは、材料の木材を求め、当然のことながら箱根山の各地にも入っていきました。ここに箱根寄木細工誕生に通じる歴史の第一歩がしるされました。

 

箱根山系の樹種に 魅入られた職人たち

 

私が学生時代、弊社初代の祖父と共に祖父の生まれ育った箱根畑宿によく出かけました。畑宿集落の下を流れる須雲川には、箱根サンショウウオが生息しているほどの清流がキラキラと流れ、そこから少し先の茂みに入ると、多くの木々が生い茂り豊かな森へと続いていました。そんな環境で育った祖父は、若き修行時代には自分たちで木材を切り出していたのか、森の多くの木々の名とその用途を説明してくれたことには大変驚きました。

箱根山系はその樹種の多さで有名な場所で、マユミ・アオハダ・ミズ キ(白)・ニガキ・ウルシ・クワ(黄)・ チャンチン・アカグス(赤茶)・カツラ・クス(茶)・ホウ(緑)・神代 カツラ・神代ケヤキ・神代スギ(黒) 等々、平安から戦国時代まで職人たちは自然の持つ魅惑的な色彩と木目に出会い、その創作意欲を大いに刺激されたことでしょう。

そして時代は移り、江戸時代に入ると「台鉋(だいかんな)」が広く普及し指物細工が、箱根でも作られるようになりました。指物とは、台鉋で均一な厚み に揃えた板材を組み合わせ、箱物を作る技術です。この台鉋の登場で、より薄く均一な板材を多く作る事が 可能になり、いよいよ箱根寄木細工の登場につながりました。まさに千年を超える長い木工の歴史と、自然の恵みとでも言うべき、箱根の大自然が「箱根寄木細工」を誕生させました。

つゆき きよかつ

1954年小田原市生まれ。77年㈱露木木工所入社、97年同代表取締役。創業以来代々、伝統の技術・技法を守りながらも、その時代の感性を大切にしてものづくりを続ける。特に意匠面においては、一般的な箱根寄木細工とは一線を画す新しい寄木細工、その次の新しい木工細工を目指している。


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