福永祐一騎手が日本ダービー初制覇!

僚誌「アンダンテ」夏号《人のちから》で単独インタビュー。その続編ともなる緊急寄稿――。

 

文=樽谷哲也 撮影=言美歩

福永祐一がついに頂点に立った。日本競馬界の最高峰とされる日本ダービー。第85回となるその日本ダービーが5月27日に東京競馬場で開催され、福永がワグネリアンに騎乗して優勝を飾った。1998年に初出場してから19度目、41歳にして、自らの念願であり、家族の悲願でもあった輝かしい「ダービージョッキー」という称号を手に入れた。

 ことし3月、私たちのインタビュー取材で、いちばん印象に残るのはいつのレースか、という問いに、こう答えていた。
「23歳のときに、ダービーで2番人気になるような馬に乗らせてもらえたんですが、緊張に飲まれてしまって、なんにも力を発揮できなかったんです。馬の力も発揮させることができなかった。惨敗でした。あのレースはやっぱり忘れられないですね」
デビュー2年目で挑んだ初めての日本ダービーでは、皐月賞2着馬で2番人気のキングヘイローに騎乗して臨んだが、先行して逃げるという同馬が一度も経験していなかった走法をとって失敗し、14着に沈んだ。以来、勝利ではなく、この敗北を胸に刻んでいた。
「ダービーで2番人気になるような馬を、馬主さんはなかなか持てないものなんです。なのに、弱冠23歳の経験の浅い僕を乗せてくれた馬主さんの思い、期待に応えられなかった。取り返しのつかない大失敗をしてしまったんです。あのときの失敗を、失敗のままで終わらせずに、糧にしないと、なんの意味もなくなってしまう」
 求道者のような表情で静かに振り返っていた。

 父の福永洋一さんは、「天才」の名をほしいままにした日本競馬界を代表するジョッキーであった。
 1968年に騎手としてデビューし、3年目の70年から9年連続で全国リーディングジョッキーに輝いた。その天才も、日本ダービーには70年から7度出場しながら、78年の3着が最高位で、優勝には届かなかった。79年3月、落馬事故によって30歳の若さで騎手生命を断たれる。療養生活はいまも続く。
 長男の祐一は、まだ2歳3カ月であった。やがて父と同じ道に進み、96年3月、初騎乗にして初勝利を挙げてからというもの、母や妻、娘、家族だけでなく、多くの競馬関係者、そして父子2代に渡る福永ファンがダービージョッキーの栄冠の獲得を待ち望んでいた。
 昨年、武豊に次ぐデビューから2番目のスピードで2000勝を達成していた福永祐一は、「達成感がありました。これからの望みといえば、名馬に出会いたいという気持ちが強いですね」と話した。
 さらに、「ディープインパクトのようなクラスの馬に出会いたい。騎手は誰でも思っていることでしょうけれど」と笑って続けながら、前日のレースで騎乗したワグネリアンについて大きな期待を私たちに明かしていた。

「応援してくださっている方々から『ダービーで勝ってください』といわれることは非常に多いです。期待をしてくれる人がたくさんいるので、自分でも勝ちたいという思いはあります。ことしは、ダービーをめざせるいいパートナーに恵まれそうなんです。ワグネリアンです」
 淡々とした語り口は変わらなかったが、福永の意気込みが感じられた。
「乗れる保証はないわけですが……たぶん大丈夫だろう、と」
 うっすら笑い皺を立て、にこやかに白い歯を見せた。

 開門を待つ徹夜組が4500人を超える盛況ぶりの第85回日本ダービーは、入場者は12万6767人と、前年より2.4%増えた。国庫納付金の元となる売得金は約263億円で、前年より5.3%伸びている。
 福永が名を挙げたディープインパクトを父に持つワグネリアンは、この日本ダービーでは5番人気。18頭立ての17番、外枠となった。最悪といっても過言ではない枠順に決まったことで、福永は、むしろ冷静にレースを組み立てた。
 序盤からワグネリアンを促して、1コーナーで5、6番手の好ポジションを確保する。さらに逸ろうとする相棒をなだめるように手綱をさばき、ライバルたちが飛び出すのを絶妙に封じて追走した。

 にじり寄るように外側から1頭ずつ抜き去っていき、最終の4コーナーを回ると温存していたスタミナを一気に放った。
 右手のステッキをふるい、愛馬にラストスパートの奮起を伝える。
 1番人気で4戦無敗のダノンプレミアムをかわし、皐月賞馬のエポカドーロを抜き去った。
 ウイニングランをする鞍上の福永がこみ上げる涙をぬぐいながら、地響きのような声を上げる観客席に向かって腕を突き上げて応えた。日本ダービーを制した騎手にのみ許される歓喜のウイニングロードである。

 表彰式のあとのインタビューで、「最後はもう、ただ気合いでした」と振り返った。
「こんなに素晴らしいものだとは思いませんでした。これがダービーに勝ったジョッキーが見る景色なんだ、と」
 父のなし得なかった偉業をなし遂げ、父は目にすることのなかった光景を独り占めにできた一瞬であった。
「ようやく父に誇る報告ができます。父もこの光景を見たかったんだと思います。代わりに、しっかり目に焼きつけました。福永家にとっても悲願でした」

 平成の日本ダービーは今回が最後となる。
「そのことは意識していました。名誉なことです。新しい元号になっても勝てるように努力していきます」

 6月には第2子が誕生する。ダービージョッキーとして、わが子を抱き、さらなる高みへと駆ける。
 あとひとつ、皐月賞に勝てば、これまでに8騎手だけが記録している5大クラシック競走完全制覇を達成する。
(2018年5月28日)

 

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