北原三枝

『狂った果実』をはじめとする映画や 雑誌グラビアなどで披露された水着姿からもわかる抜群のスタイル、また︑昭和 30 年ころに流行った言い方である M型(MANの略で、男っぽいの)女性の代表とされた都会的でボーイッシュな雰囲気は、若い世代に人気を博した新生日活映画のトップスター女優として、多くの若者たちの視線をスクリーンに釘付けにした。

石原裕次郎と出会ってから、もっぱら裕次郎の相手役を務め、そして結婚。

大スター同士の二人の結婚は、日活やファンを巻き込んでの大騒動だった。

結婚後はきっぱりと女優業を引退し、裕次郎夫人として夫を支え続けた。裕次郎さんと親交が深く、裕さんを通してマコ夫人と出会った なかにし礼さんが綴る私的「北原三枝」論から、石原まき子という女性像が今鮮やかに浮かび上がってくる。

 

北原三枝と石原まき子さん

文=なかにし礼

北原三枝といえば、まず頭に浮かぶのは『君の名は』(第二部)の北海道のシーンで登場したアイヌ娘である。あの美しさにはド肝を抜かれた。こんな美女がどこにいたのかという驚きである。瞳の輝き、唇のなまめかしさ、全身が放つ圧倒的な女らしさ。それに声も、甘みのあるのに尖っていて艶っぽい。この時の北原三枝の美しさは『白痴』の原節子、『羅生門』の京マチ子に匹敵する。日本の三大美女の一人といっていいだろう。

次はなんといっても、『狂った果実』 (一九五六)で石原裕次郎(夏久)と津川雅彦(春次)という兄弟との愛に翻弄される女(恵梨)。北原三枝はのちの『逆光線』という映画でもその見事 な水着姿を惜しげもなく見せてくれるが、スタイルの良さは群を抜いている。季節は夏、舞台は湘南、いかに若い男たちが不良であり奔放であったとしても、北原三枝のあの素晴らしい水着姿と脚線美がなかったら、これほどまでに真剣な恋にもこんな悲しい結末にもならなかったであろう。すべての要因は、北原三枝の魔性を秘めた美しさがあって初めて成り立っているのだ。

この映画で石原裕次郎と北原三枝は 恋に落ち、『陽のあたる坂道』(五八)で共演したのち、六十年に結婚してしまった。むろん日本中が大騒動になった。

©Yuji Hayata / JDC

初めて銀座の早田スタジオを訪れた北原三枝は
真っ白なワンピース姿だった。
「この人は大女優になる」早田は瞬時に確信したという。

さて、私が石原裕次郎さんと初めて 会ったのは一九六三年の晩夏である。 伊豆下田の東急ホテルでのことであ る。その時、裕さんは私に三つのこと を言った「。シャンソンの訳詩なんてや めて、日本の歌を書けよ」「この『太平 洋ひとりぼっち』って写真には命をか けてるんだ。できあがったら必ず見て くれよ」「女房に心配かけるんじゃな いぞ」

その後、私は歌謡曲の作詩をやるようになり、石原プロモーションのお世 話になり、黛ジュンというスター誕生 に参加したり、裕さんのための作詩ま でしたりして、順調に作詩家生活をス タートさせていたのだが、私の妻は、 私が作詩家になることに反対であっ た。もっと大学教授とか作家とか世間 的に見栄えのする仕事をしてもらいた かったようだ。

 私は離婚の意志を表明して家に帰ら なかった。するとなんと、妻は北原三 枝さんつまり石原まき子さんのところ へ相談に行き、そのまま石原家に一週 間ほど居候までしてしまった。その時、 裕さんは私に言った。
「礼ちゃんよ、お前んとこのカミさん、 まだ俺んちにいるぜ。昨夜帰ったら、 マコと一緒に風呂入ってたよ。俺が口出すと話が面倒になるから遠慮するけ ど、どっちにするにしても早く結論だ しなよ」
 
私は恥ずかしさで汗びっしょりに なった。

その後間もなく私は妻と正式に別れ た。

「わが人生に悔いなし」という歌の レッスンをしてくれと言われ、ハワイ の裕次郎邸にお邪魔した。その時は今 の妻と娘が同行したのだが、私と裕さ んが話し込んでいる間、マコ夫人は家 内と娘を連れてビーチを散策してくれ ていた。

 翌日、裕さんとマコ夫人、私と家内 の四人でゴルフをハーフラウンドし た。一番のティグランドで裕さんは新 品のドライバーでなんどか素振りしていたかと思うと、

「なんだこりゃ、全然ダメじゃないか」

 裕さんはそのクラブを近くにあった ゴミ箱に捨てた。マコ夫人は、

「あら、あなた、まだこれ、値札がつい てるじゃありませんか」

笑ってとがめたが、そのクラブを拾 いあげることはしなかった。

そうそう、あの時、マコ夫人はうち の家内にゴルフ場のタオルを買ってく れたっけ。

 成城の石原邸にお見舞いにあがった 時など、

「せっかく見舞いに来てくれたんだか ら、シャンパンぐらい開けなきゃ申し訳ないだろう」

と裕さんは言う。

「裕さんは飲んではいけませんよ」

マコ夫人は私と妻のグラスにシャン パンを注いでくださる。

マコ夫人が席を立つと、すかさず裕 さんは私のグラスからシャンパンをひと口すする。

それを見て、メッという顔をするマ コ夫人。

首をすくめてみせる裕さん。  

なんともほほえましい風景だ。  

裕さんが亡くなって二十一年経った 二〇〇八年、私が古希を迎えた。恥ず かしながら古希の会を開いた。マコ夫 人は出席してくださった。延々と二時 間以上も私は隣の席のマコ夫人と談笑 できた。マコ夫人がいる、慎太郎さん がいる。私は今にも裕さんが現れるのではないかという錯覚にとらわれた。 裕さんは優しかった。がその裕さんの 優しさを裏打ちしていたのはマコ夫人ではないか。

「美しきものに微笑みを
淋しきものに優しさを
逞しきものに 更に力を
全ての友に思い出を
愛する ものに永遠を
心の夢覚めることなく」

 マコ夫人によって裕さんのお墓に刻 まれた〝贈る言葉〟を読むたび、私はそ う信じないでいられない。

きたはら みえ

女優。1933年東京生まれ。現在は石原まき子 として石原プロモーションの代表取締役会長を 務める。日劇ダンシングチームに5期生として入 団、52年に退団後、松竹のニューフェイスに合 格、『カルメン純情す』で本格的な映画デビュー を果たす。54年には新生日活に引き抜かれる 形で移籍、エース女優として活躍する。『狂った 果実』で後に結婚する石原裕次郎と初共演後 は、日活のドル箱コンビとして20数本の共演作 が製作された。60年の結婚を機に女優業を引 退した。主な出演作に映画『お茶漬の味』『君 の名は 第二部』『銀座二十四帖』『愛のお荷 物』『月は上りぬ』『青春怪談』『風船』『夏の嵐』 『流離の岸』『逆光線』『勝利者』『俺は待って るぜ』『嵐を呼ぶ男』『今日のいのち』『風速40 米』『明日は明日の風が吹く』『陽のあたる坂道』 『赤い波止場』『錆びたナイフ』『天と地を駈ける 男』『若い川の流れ』『男が爆発する』『清水の暴 れん坊』『闘牛に賭ける男』『天下を取る』『青年 の樹』『やくざ先生』『鉄火場の嵐』などがある。 裕次郎の死後、88年には『裕さん、抱きしめたい』を出版した。

なかにし れい

作家。1938年、中国黒龍江省牡丹江市生ま れ。立教大学文学部仏文科卒業。大学在学中 よりシャンソンの訳詩を手がけ、64年菅原洋一 が歌った「知りたくないの」のヒットを機に作詩家 となる。「天使の誘惑」「今日でお別れ」「北酒場」 (いずれもレコード大賞受賞)のほか「恋のフー ガ」「愛のさざなみ」「恋の奴隷」「手紙」「別れの 朝」「人形の家」「港町ブルース」「石狩挽歌」「時 には娼婦のように」など約4千曲の作詩を手が けレコード大賞作詩賞を2度受賞。その後作家 活動を開始、2000年に『長崎ぶらぶら節』で直 木賞を受賞。『兄弟』『てるてる坊主の照子さん』 『夜盗』『世界は俺が回してる』など多数の著作 がある。15年に作家・作詩家生活50周年を記 念してリリースされたアルバム『なかにし礼と12 人の女優たち』は、浅丘ルリ子、大竹しのぶ、黒 柳徹子、佐久間良子、常盤貴子、桃井かおりら がなかにし礼のヒット曲を歌い大きな話題となっ た。続いて発売されたオリジナル歌手の歌唱に よるアルバム『なかにし礼と75人の名歌手たち』 は、まさに昭和歌謡大全の趣きだ。最新アルバ ムは『なかにし礼と13人の女優たち』。


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