大原麗子

市川崑監督が撮ったウイスキーのコマーシャルで見せた夫の遅い帰宅にしびれをきらした膨れっ面のかわいい奥さんの大原麗子に日本中の男性たちは心を掴まれた。

特にハスキーで甘えた口調で言う「すこし愛して、ながーく愛して」のコピーは大原麗子の魅力を一気に開花させることになる。
この時、東映時代の勝気な溌剌としたイメージから、大原麗子は日本的美人のイメージをまとう女優になり、以降、テレビドラマで見事な大輪の花を咲かせた。

だが、当代きっての人気女優の心の内にはいつも陰のようなものがつきまとっていた。

TBSでテレビ史に残る数々の作品を手がけた演出家・鴨下信一さんはドラマ製作の現場を通じて大原麗子を見続けてきた一人だ。

1977年の東芝日曜劇場「証」で出会い、コンビでの最後のドラマとなったスペシャルドラマ「忍ばすの女」まで、大原麗子出演ドラマの演出を最も多く手がけた鴨下信一さんの耳には、声にならない女優の悲痛ともいえる叫びのようなものが届いていた。女優の良き理解者であった演出家・鴨下信一さんが大原麗子を語る。

 

自分の存在への不満と不安をもった女優らしい女性 

文=鴨下信一

表紙を飾っている写真はほんとうに豪奢で麗子さんのスター性をよく表現している。サイケデリックという言葉が流行ったのは’68ごろだから、彼女は二十歳になるかならないか。東映の映画女優で、六本木の野獣会なる当時先端の若者グループの出身だった。まだ僕とは何の接点もなかった。アダ名はビッチ、チビの逆さかさ。ジャズをズージャ、女の人をナオンとひっくり返す呼び方がいかにもあの時代っぽい。

’67がツイギーの来日で、グラマーの時代はもう過ぎていたが、それでもサイズ7ではブカブカ、5でもいい。「レイちゃんは幼児体型だから」と自分でも言っていた。あれでどうしてオーバーサイズの時代劇の〔打ち掛け〕や〔十二單ひとえ〕があんなに似合ったのだろう。後に「源氏物語」(’91)では藤壺と紫の上の二役で前後8時間の巨篇をやりとげ、大河ドラマ「春日局」や何本もの3時間ドラマで大奥の打ち掛け姿で主役を張れたのか。

そのずっと以前、’71に彼女は映画を去り、テレビに主な活躍の場を移す。

東映の男優中心路線ではこれ以上芽が出ないと思ったからだろう。結果が大成功だったのはご存知の通り。彼女はここでまったく新しい役柄を手に入れる。和服の、それも地味な普段着を、いかにも働き者らしく裾すそみじ短かに着て、あのハスキーな声(それなのに甘ったれた調子で喋るのが特徴だった)で「すし愛して、ながーく愛して」の名コピーを言うCF(’77~’87)がその集大成で、〔健気げな下町の女〕はそれまでのキャラクターとは正反対だがお茶の間にすんなり受け入れられた。あの富士額がチャーミング・ポイントになった。

生まれが東京白はくさん山だから下町育ちといっていい。勝気で喧嘩っ早ぱやいところがあったのは仕方がない。これを我がままととるのは間違いで、自分のことではよく我慢をした。正義感が強くて、他人の喧嘩を買って出るところは、たしかにあったけれども……。

たぶんその後も映画から距離を置いたのは、過酷な撮影スケジュール(特にロケの)には耐えられなかったからだろう。後にぼくも患ったのだが筋肉麻痺をギラン・バレー病(原因も治療法もわからない奇病)のせいに違いない。しかし、その病気の経験者で、それにあの体格で、ひどく運動神経はよかった。ロケ先の山道で競争して、こちらは見事にアキレス腱を切った。つまり〔お俠きゃん〕なのである。ずいぶん仲良くなって、たくさんの演出をさせてもらったが、のうちに彼女には第3の後悔があることに気づいた。

それは日曜劇場で松本清張原作の「証明」(’77)や3時間ドラマ「女ともだち」( ’82)の彼女を演出した時、強く感じたことだが〔自分の存在への不満と不安〕とでも言おうか、その表現の鋭くシャープなことだった。それはあまりに鋭角すぎて、しばしば神経症的に感じられるほどだったが、こういう女優は他にいなかった。いや、心ある女優はたいてい少しずつこの不満と不安をもっていた。私はほんとうに正しく〔自分の人生を生きているだろうか〕という疑問は、この時代の女性に多かれ少なかれあった。〝くれない族〟という言葉が流行ったのは’84で、亭主がかせいでクレナイ、そこで自分が働きに出ればロクな仕事をさせてクレナイ、子供は勉強してクレナイ、誰も愛してクレナイ……「くれない族の反乱」という連続ドラマに主演したのは同年のことだった。

自分の中にいくつもの人ペルソナ格をもっているのは女優の資格で、それを時に応じて取り出して役作りをする。だが彼女は古くて生き まじめで自分の中の複数の性格に引き裂かれたようなところがあった。そのうちに「自分はこれでいいのだろうか」が嵩じて「自分は女優をやっていていいのだろうか」と思うようになったらしい。しばしばそんなことを話すのを聞いた。あんなに〔女優らしい女性〕は他にいなかったのに……。と、いまつくづく思う。

©Yuji Hayata/Marland

彼女の強みは〔知性〕だったと思う。
とても知的に役にアプローチする女優だった。
(中略)第一勉強家なのである。
特にあのちょっと甘ったるいせりふ回しからは
想像できないほど、せりふにはうるさかった。
────── お別れの会での筆者の弔辞より抜粋

©Yuji Hayata/Marland

©Yuji Hayata/Marland

©Yuji Hayata/Marland

おおはら れいこ

女優。1946年東京生まれ。64年、NHKのテレビドラマ「幸福試験」で女優デビュー、翌年東映に入社、『孤独の賭け』で本格的な映画デビューを果たす。高倉健主演の『網走番外地』シリーズや、『大奥絵巻』などに出演。東映退社後も『獄門島』『柳生一族の陰謀』『居酒屋兆治』『おはん』『新・喜びも悲しみも幾歳月』などの映画に出演、『男はつらいよ』シリーズでは『噂の寅次郎』『寅次郎真実一路』で2度マドンナを務めた。その人気を不動のものにしたのは70年代以降テレビに進出してからで、「女たちの忠臣蔵」「花のこころ」「三十ふり袖」など多くの東芝日曜劇場、「勝海舟」「獅子の時代」「山河燃ゆ」「春日局」「徳川慶喜」など大河ドラマ、「人生劇場」「3丁目4番地」「新・だいこんの花」「さよなら・今日は」「忍ぶ橋」「愛の山河」「新・坊っちゃん」「絣の花」「悲曲禁じられた愛」「あにき」「火の航跡」「たとえば、愛」「離婚ともだち」「夜の傾斜」「さりげなく憎いやつ」「樋口一葉 われは女成りけるものを…」「脳死をこえて」「雨の降る駅」「姐さんたちのララバイ」「妻たちの鹿鳴館」「三姉妹」「浮浪雲」「チロルの挽歌」「忍ばずの女」「レイコの歯医者さん」など多数のテレビドラマに出演、お茶の間の人気者となる。また、『男を金にする女』『品川心中‐白木屋お染‐』『お夏狂乱』『眠り人形』など舞台にも出演した。09年8月3日死去。享年62。

 

かもした しんいち
演出家、エッセイスト、1955年に東京大学文学部美術史科卒業後、ラジオ東京(現・東京放送)に入社、現在TBSテレビ相談役。テレビに「天国の父ちゃんこんにちは」「おんなの家」シリーズ、「女たちの忠臣蔵」「花のこころ」など200 本以上手がけた東芝日曜劇場をはじめ、「岸辺のアルバム」「幸福」「想い出づくり」「ふぞろいの林檎たち」「源氏物語」「高校教師」「カミさんの悪口」「歸國」「終着駅~トワイライトエクスプレスの恋」など多数の演出作品があるほか、『向田邦子小劇場』『華岡青洲の妻』『白石加代子の源氏物語』『同百物語』『山口百恵引退公演』など舞台演出も多数手がける。また、『テレビで気になる女たち』『忘れられた名文たち』『誰も「戦後」を覚えていない』『日本語の学校』『名文探偵、向田邦子の謎を解く』『昭和十年生まれのカーテンコール』『昭和芸能史 傑物列伝』など多数の著書がある。


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