昭和の風景 昭和の町

文=川本三郎

新婚旅行が始まった

 ~高度経済成長期の新郎新婦は列車に乗って~

 

高度経済成長期には、新婚旅行に出かけるカップルの見送りの人で 駅のホームは大変な混雑ぶりであった。
見送り客たちは万歳三唱で新婚カップルを送り出し、
新郎新婦は、一般の乗客たちの注目を浴びることになり、どこか恥ずかし気であった。発車ベルがどれだけ待ち遠しかったことか。
当時は服装もカジュアルなスタイルというより、 新郎はスーツ姿、新婦は明るい色のスーツに皇族の妃殿下がたの影響なのか帽子を着用。 白い手袋をした手にはブーケ、そしてボックス型のスーツケース。 行き先は箱根や熱海、伊東などの温泉宿で、2泊3日程度の旅行だった。
また、宮崎の青島あたりも人気の旅行先で 昭和42年から昭和48年ころまで、京都もしくは大阪から宮崎までの新婚旅行客向けの臨時急行列車「ことぶき」が大安吉日に運行されている。
車窓風景を眺めながらの列車の旅は、新婚カップルにはすてきな思い出になっただろう。

昭和30年代後半から50年代初めにかけて、空前の新婚旅行 ブームにわいた宮崎。昭和49年には約37万組の新婚旅行客 が宮崎市内に宿泊したという。この数字は同年に結婚したカッ プルの約35パーセントに該当する。また、昭和40年代には、 飛行機で宮崎に行くカップルも増え、タラップを降りた新婚カッ プルたちは、宮崎交通のバスで観光を楽しんだ。フェニックスの 葉陰を散策しながらこれからの人生を誓ったのだろうか。昭和 42年には宮崎を舞台にした「フェニックス・ハネムーン」(作詞: 永六輔、作曲:いずみたく、歌:デューク・エイセス)もリリース された。新婚旅行ブームを反映した歌であることがわかる。 写真提供:宮交ホールディングス株式会社

荷風の小説に登場する「新婚旅行」

 

 新婚旅行はいつごろから始まり、 いつごろから一般化したのだろう。
 
 坂本龍馬が新婚旅行を始めたという説があるが、幕末に「新婚旅行」という言葉はなかったし、本人にも、その意識はなかっただろう。
 
 文学作品に「新婚旅行」が登場する早い例に、大正七年(一九一八)に発表された永井荷風の小説『おかめ笹』がある。

 東京に住む高名な日本画家の息子が、見合いをして結婚する。そのあと新妻と箱根に新婚旅行に出かける。
 
 荷風は、はっきり「新婚旅行」と書いている。大正時代のなかば、よ やく世に新婚旅行が登場してきている。ただ、この新婚夫婦は、夫が前述のように高名な画家の息子、妻は足利家の家令をつとめた名家の出。 どちらも富裕な家の子供だから、一 般に先がけて新婚旅行が出来たと言える。庶民のあいだで新婚旅行が広 まるのはまだずっと先。
 
 荷風は『おかめ笹』のなかで、若い二人の結婚式の次第を丁寧に書き込んでいる。
 
 二人は、まず日比谷大神宮(関東 大震災後に現在の千代田区富士見町に移転、東京大神宮に改称で神前 結婚式を行なう。そのあと築地の西洋料理店、精養軒で披露宴を開き、そして新婚旅行へ出かける。
 
 神前結婚、披露宴、新婚旅行、という現在の形が、大正のなかばに生まれている。それまでは、結婚式も披露宴も、新郎の家で親類縁者を集めて行なうのが普通だった。それが 大正デモグラシーの影響もあり、若い新婚夫婦が「家」の格式にとらわれなくなり、家の外へ出る形が広まっていった。

……続きはVoi.36をご覧ください。

かわもと さぶろう
評論家(映画・文学・都市)。1944年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャー ナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。『大正幻影』 (サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎 日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5冊)『映画を見ればわかること』 『向田邦子と昭和の東京』『それぞれの東京 昭和の町に生きた作家たち』『銀幕の銀座 懐かし の風景とスターたち』『小説を、映画を鉄道が走る』(交通図書賞)『白秋望景』(伊藤整文学賞) 『いまむかし東京下町歩き』『成瀬巳喜男 映画の面影』『映画の戦後』『サスペンス映画ここにあ り』『日本すみずみ紀行』『東京抒情』『ひとり居の記』『物語の向こうに時代が見える』『「男はつ らいよ」を旅する』『老いの荷風』など多数の著書がある。

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