昭和の風景 昭和の町

文=川本三郎

夜店、縁日が町をにぎわす

 ~夜店のひやかしが楽しかった夜の銀ぶら~

 

娯楽の少ない時代、町に縁日が立つ日は 朝から気持が浮き立ったものだ。

子供たちは学校がひけると小遣いをもらって 友だちと昼間の露店に繰り出し、何を買うか真剣に思案する。

夜になると、晩ごはんを早仕舞いし、 家族と一緒に夜店を見て歩く。 親が一緒なので、予算も心配ない。

銀座あたりのバーで飲んだ帰りに夫たちは、 奥方のご機嫌うかがいの土産にと、 夜店でバッグや靴やアクセサリーなどを買ったと聞く。

町に屋台なども少なくなり、夜店もまた 消えて久しい町の文化の一つであった。

〔戦前の銀座に並んだ風流な夜店〕

現在の銀座からは想像がつかないが、昭和戦前期の銀座には夜店(露店)がずらりと並んだ。大正十二年 (一九二三)の関東大震災のあと、銀座は鉄筋コンクリートの建物が並ぶモダン都市として復興、変貌していったが、その新しい銀座を支えていたのは、意外にも夜店だった。

とりわけ、松屋、三越、松坂屋のデパートが並ぶ東側に集中した。店舗が店閉まいしてから夜店が店を開ける。

当時の銀座の様子を語った安藤更生の名著『銀座細見』(昭和六年、春陽堂)には、銀座のにぎわいについて、こうある。

「夜店といえば、どこのも何となくうらぶれた、淋しい思いを起こさせるものだが、銀座の夜店には全くそういうところがない。明るく快活で、 手ごろで、そしてよい品物が安く買える。店々にネオンサインが点(とも)り、 大きなゼネラルモオタアスのイリュミナシオンが一斉に輝 (かがや)き初 (はじめ)る夕方の六時ごろから、そこには思い出の店が開かれる」

夜店といっても、決していい加減なものを売る安直な店ではなく、玩具、古本、骨董などきちんとしたものを並べていた。だから、安藤更生は「これは一つの立派なデパート」だと賞賛する。

大正時代に始まり、昭和になって盛んになった「銀ぶら」には、昼の銀座を歩くことだけではなく、この明るい夜店が並ぶ夜の銀座を歩く楽しみも入っていた。

大正九年(一九二〇)に銀座に生まれた、元朝日新聞記者、水原孝は 回想記『私の銀座昭和史帝都モダン銀座から世界の銀座へ』(昭和六十三年、泰流社)のなかで、「私などは子供のころから家の者と銀ブラをしながら、夜店を見て歩くのが楽しみだった」と書いている。

(続きはVol.32をご覧ください)

和歌山県熊野の新出町稲荷夏祭りの様子。縁日とは、「弘法さん」「お 地蔵さん」「弁天さん」などと、日が決 まっている祀り日のことで、夜店という のは、「縁」とは無関係に立ち並ぶようである。たこ焼、焼そば、イカ焼などは、いまも人気でビールなども売られている。昔も今も子供に人気なのは綿 あめだろうか。 写真提供:熊野市在住中田征治氏

昭和20年ころの東京・板橋区の夜店で、金魚すくいに夢中になる子供たち。金魚すくいは、ヨーヨーすくいと並んで、子供にとって楽しみの一つだったが、すぐに網が破れてすくうのはなかなか難しかった。また、戦利品の金魚を家に持って帰っても、親にはあまりい い顔をされなかった。 写真提供:医療法人社団昭成会 田﨑病院

かわもと さぶろう
評論家(映画・文学・都市)。1944年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャー ナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。『大正幻影』 (サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎 日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5冊)『映画を見ればわかること』 『向田邦子と昭和の東京』『それぞれの東京 昭和の町に生きた作家たち』『銀幕の銀座 懐かし の風景とスターたち』『小説を、映画を鉄道が走る』(交通図書賞)『白秋望景』(伊藤整文学賞) 『いまむかし東京下町歩き』『成瀬巳喜男 映画の面影』『映画の戦後』『サスペンス映画ここにあ り』『日本すみずみ紀行』『東京抒情』『ひとり居の記』『物語の向こうに時代が見える』『「男はつ らいよ」を旅する』『老いの荷風』など多数の著書がある。

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