昭和の風景 昭和の町

文=川本三郎

空にゃ今日もアドバルーン

 ~都心の空に浮かんだ鮮やかな広告気球~

 

高層ビルが立ち並ぶ以前の都心の下町、 たいていの家屋の2階には木造の物干し場があり、 そこから空に浮かぶアドバルーンがよく見えた。
百貨店や店の開店案内だったり、新作映画封切の告知だったりと、 都会の空ならではの景色が、昭和には存在した。
最近では、郊外の住宅展示場の案内などで 時折、アドバルーンを見ることがあるが、 都会の空が狭くなり、アドバルーンの活躍の場も変わったのかもしれない。
アドバルーンには、空というキャンバスが必要なのである。

〔夜のネオン 昼のアドバルーン〕

 
昭和に活躍した洋画家、鈴木信太 郎(一八九五~一九八七)に、「東京 の空」(昭和六年)という絵がある。
 
関東大震災のあと復興してゆく銀 座の新しい都市風景を描いている作 品だが、建物よりも何よりも、この 絵でいちばん目をひくのは銀座の空に浮かんだアドバルーン。

「東京の空」とあるように、絵の半分 近くを空が占める。そして、その空 には大きなアドバルーンが五つも浮 かんでいる。昭和のはじめの銀座に は、こんなにたくさんのアドバルー ンが浮かんでいたとは。

現在、東京の空にはもうアドバルー ンは見られない。高層ビルが増えた ために、広告気球の意味がなくなってしまった。
 
気球は、明治時代に偵察用として 軍隊で使われていた。それが次第に 広告、宣伝に使われるようになった。
 
大正はじめに、化粧品会社の中山 太陽堂や福助足袋が使ったのが早い 例だという。

 当初は「広告気球」といっていたが、 昭和になってアドバルーンと呼ばれ るようになった。 advertisement ( 広 告 )   の ad と balloon ( 気球 ) を付け た和製英語である。
 
(続きはVol.31をご覧ください)

昭和6年4月23日の「都新聞」の紙面に、 「都会新風景 空の広告風船玉」という見 出しの記事が出た。アドバルーンの紹介記 事で、「ビルデングやデパートの屋根に出る 昼間の月」とも記述されている。画家の鈴 木信太郎が「東京の空(数寄屋橋附近)」 を完成させたのは昭和6年8月だったという から、新聞に記事が出た4ヶ月後のことであ る。アドバルーンの噂をきいて、二科展出品 の絵のモチーフに決めたという。 画像提供:一般財団法人 そごう美術館

かわもと さぶろう
評論家(映画・文学・都市)。1944年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日 ジャーナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。 『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林 芙美子の昭和』(毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5冊)『映 画を見ればわかること』『向田邦子と昭和の東京』『それぞれの東京 昭和の町に生きた作 家たち』『銀幕の銀座 懐かしの風景とスターたち』『小説を、映画を鉄道が走る』(交通図 書賞)『君のいない食卓』『白秋望景』(伊藤整文学賞)『いまむかし東京下町歩き』『美女 ありき―懐かしの外国映画女優讃』『映画は呼んでいる』『ギャバンの帽子、アルヌールの コート:懐かしのヨーロッパ映画』『成瀬巳喜男 映画の面影』『映画の戦後』『サスペンス 映画ここにあり』『日本すみずみ紀行』『東京抒情』『ひとり居の記』など多数の著書がある。

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