紙芝居が町に来た

 ~昭和の子供の娯楽の時間~

 

触れ太鼓よろしく、おじさんが打ち鳴らす拍子木を合図に 子供たちが集まると、町角や空き地で紙芝居が始まる。
子供たちは、こづかいで買った水飴や駄菓子を食べながら先週からの物語の続きを今か今かと待ちわびている。
そう、紙芝居のおじさんはいつも話がこれからというときに 「続きはまた来週」と、話を打ち切っていた。 当然、子供たちの期待も高まる。 冒険活劇から時代劇、継子いじめや、孝行物語、怪談など内容は多岐にわたる。
一人の演じ手が複数の観客と向き合い、演じ手はメイン客である子供たちの反応をうかがいながら、 絵の引き抜き方、声色、台詞回しなどに変化をつけて演じた。
紙芝居は、昭和の初期に誕生し、そして、今は懐かしい、 演じ手と客との一体感が魅力の、日本独自の文化だった。

戦後、娯楽が何もない時代の子供たちの楽しみは、 毎週巡回訪問にくる紙芝居。アコーディオンの演奏 で演出効果も抜群なのだろう、子供たちが食い入る ように紙芝居に夢中になっている姿が愛らしい。昭 和25年頃に撮影されたもの。また、絵は写真を撮っ た新見睦さんにより描かれた紙芝居の風景。アコー ディオンのおじさんは「メガネのどんちゃん」と呼ばれ ていたようだ。まだ家庭にカメラが普及していなかっ た時代、絵は大切な記録だった。 写真・絵提供:新見睦さん

昭和36年7月、東京の白金台二丁目で撮影 された一枚。紙芝居といえば水飴で、割り箸 についた水飴を、色が白くなるまで練ったり舐 めたりしながらも、子供たちはいつしか水飴そっ ちのけで、紙芝居に夢中になっていた。 写真提供:持田晃著&写真『東京いつか見た 街角』(河出書房新社刊)

昭和を代表する写真家、木村伊兵 衛に紙芝居を撮った懐かしい写真が ある。

東京の下町、月島(中央区)の通 りに自転車でやってきた紙芝居のお じさんが、これから店を開こうとし ている。

子供たちが集まってきている。待 ち切れずに紙芝居をめくっている子 供もいる。男の子たちはたいてい坊 主頭。女の子もいるし、赤ん坊を抱 えた母親もいる。

昭和二十九年に撮影されている。 前年の二十八年にはテレビ放送が始まっている。やがて紙芝居はすたれ てゆくから、この写真は、消えゆく 紙芝居の最後の頃をとらえていると いえるだろう。

 

〔街頭紙芝居という子供相手の商売〕

 

戦後、娯楽の少なかった時代に、 紙芝居は子供たちにとって数少ない 楽しみだった。「町に紙芝居がやって くる」のを子供たちは待っていた。

昭和二十六年に公開された成瀬巳 喜男監督の『銀座化粧』に紙芝居が 出てくる。

田中絹代演じる主人公は、女手ひ とつで子供を育てながら銀座のバー で働いている。銀座の東、新富町(中 央区)あたりに住んでいる。まだ瓦屋根の木造家屋が並ぶ下町である。

町の横丁に紙芝居がやってくる。 自転車の荷台に、木の箱を置き、そ れを舞台に見立て厚紙に描かれた絵を一枚一枚めくって見せてゆく。太 鼓を鳴らしながら、無声映画の弁士 のように物語を語ってゆく。

おじさんは水飴などの駄菓子を売る。これがいわば木戸銭、紙芝居代 になる。飴を買わない(買えない)子供は、ただ見になるから遠慮して、遠くから見る。

『銀座化粧』には、もう一ヶ所、紙芝居のおじさんが店を開く前に、太鼓を叩きながら横丁を歩く姿がとらえ られている。太鼓の音を聞いて、あちこちから子供が集まってくる。

この時代、いまに比べると、町に は子供たちがたくさんいたことが分 かる。だから街頭紙芝居という子供 相手の商売が成り立った。

成瀬巳喜男は庶民の暮しを丁寧に 描くのが好きだった。昭和二十七年 の作品『おかあさん』は、田中絹代 演じる母親が、夫を亡くしたあとク リーニング店を引継いで、子供たちを育ててゆ家庭劇。

舞台は大森あたり。この町にも紙 芝居がやってくる。自転車の荷台の 〝舞台〟で、集まってきた子供たちに絵物語を見せる。

紙芝居画家だった評論家、加太こ うじの『紙芝居昭和史』(立風書房、 一九七一年。のち岩波現代文庫)に よると、戦後、紙芝居は一気に普及 していったという。昭和二十五年に は全国で五万人もの紙芝居屋がいた。 「百人ほどの画家によって描かれた肉 筆の絵は東京から東海道をくだって絵のあるだけの説明者をふやして昭和二十五年へかけては九州にまで到達する」

紙芝居は肉筆で一組しか作られな い。子供の遊びとはいえ、実は、手間がかかっている。手作業で作られ。一組を順番に回してゆく。のちに漫画家として有名になる水木しげ るや白土三平は、無名時代に紙芝居を描いていた。

 

〔紙芝居「製作所」は東京下町の小さな会社〕

 

紙芝居の誕生は昭和初期。   はじめは、紙人形を使った芝居を 見せていたが、それが絵物語に変わっ ていった。そのほうがスピーディで 子供に喜ばれた。

昭和五年には、大衆文化史上、よく知られている『黄金バット』(作・ 鈴木一郎、絵・永松武雄)が大人気 になり、紙芝居という職が定着した。

紙芝居の内容は、冒険活劇、怪談、 少女ものなどが主。映画『銀座化粧』 の紙芝居の場面には、女の子たちも 紙芝居を見ている。母ものなどに涙 を流していたのだろう。

加太こうじは大正七年、浅草の生 まれ。のち荒川区の尾 おぐ 久に移った。 高等小学校の生徒だった十四歳の頃 から紙芝居を描き始めたというから 驚く。

紙芝居を作る「製作所」は大半が 東京の下町にある小さな会社だった。 「できてはつぶれ、つぶれてはまたで きた」。そういう零細企業だから、十 四歳の少年でも絵がうまければ、雇っ てもらうことが出来た。

加太こうじ少年はある時、荒川区 の三河島の長屋にある小さな「製作 所」を訪ね、「紙芝居の絵を描かせ て下さい」と頼んだ。描いてきた二 枚の絵を見せると、主人が「ふーん、 まあ使えるかな」と雇ってくれた。 昭和の初めのこと。下町では庶民ど うしが助け合って生きるという暮し が自然にあったのだろう。

少年だから画料は安かったが、それでも仕事はあった。「私のような子 供が、へたな絵で一家五人を食わせ られるほどの収入があった」。

三年間ほどで十数軒の製作所を描 いてはやめ、やめさせられるとまた 新しいところを探して描く。「そんな ことをくり返しているうち、少しうまくなって紙芝居では人気のある作 者兼画家になってしまったのである」

昭和十年から十一年は、紙芝居の 全盛期だったという。

だからだろう、大正十二年、浅草 生まれの池波正太郎は、随筆「私の 夏」(『日曜日の万年筆』新潮文庫)で、 子供の頃、紙芝居に惹かれ、自分で紙芝居を作ったと回想している。 「ワラ半紙を買って来て四つ切りにして、筆と墨で描き、クレヨンで色をつけ、(友達と)たがいにやって見せる」

ロビン・フッドの冒険やキング・コングを紙芝居にしたという。
 

〔紙芝居は下町の庶民文化だった〕

 

昭和二年、港区生まれの北杜夫は 長編小説『楡家の人びと』のなかで、 昭和のはじめ、小学校に上がる前の 子供(自身の子供時代だろう)が、 紙芝居に惹かれる様子を描いている。 周二というその青山の大病院の子供は、夕方になると町にやってくる紙芝居に夢中になる。

紙芝居の拍子木の音を聞くと、大勢の子供が集まってくる。一銭銅貨 を差し出して「紅白のねじり飴を買 う。紙芝居が始まる。「さあて、そのとき現われたのは、正義の怪人、黄金バット!」

子供たちは夢中になる。しかし、 周二は「不幸」だった。一銭もお金 を持っていないから。おじさんに「さあ、飴を買わない子はうしろ、うしろ」と押しのけられてしまう。

周二がお金を持っていないのは、 学齢前ということもあるが、何よりも良家の子供だったため。当時、山の手の良家の子供は、こづかいを持たされないのが普通だった。「買い食い」が禁じられていた。

紙芝居は、下町の庶民の子供たちが楽しむものだった。青山の大病院の子供である「お坊ちゃん」は本来、 見てはいけないものだった。荒川区の町屋は、紙芝居が多かった町として知られているが、戦前も戦後も、紙芝居は下町の庶民文化だった。

この紙芝居もやがて昭和三十年代 になると次第に世の中が豊かになり、 子供の興味が、漫画本や映画、そし てテレビへと移ってゆくと共に、町角から消えていった。初期のテレビが「電気紙芝居」と呼ばれたことに、かすかにその名残りが感じられる。

かわもと さぶろう
評論家(映画・文学・都市)。1944年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日 ジャーナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。 『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5冊)『映画を見ればわかること』『向田邦子と昭和の東京』『それぞれの東京 昭和の町に生きた作家たち』『銀幕の銀座 懐かしの風景とスターたち』『小説を、映画を鉄道が走る』(交通図書賞)『君のいない食卓』『白秋望景』(伊藤整文学賞)『いまむかし東京下町歩き』『美女ありき―懐かしの外国映画女優讃』『映画は呼んでいる』『ギャバンの帽子、アルヌールのコート:懐かしのヨーロッパ映画』『成瀬巳喜男 映画の面影』『映画の戦後』『サスペンス映画ここにあり』『日本すみずみ紀行』『東京抒情』『ひとり居の記』など多数の著書がある。


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