洋裁は懐かしい母の思い出

 ~世界にひとつだけの手作りの服~

 

昭和の家庭では、子供たちの服は母親が作るというのが、ごく日常的であった。
普段着から、音楽会や学芸会、入学式といった〝ハレ〟の日の服まで母親は子供の喜ぶ顔を思い浮かべながらスタイルブックを参考にして型紙を作り、布地を裁ち、ミシンを踏んだ。
玄関口に〝お仕立て承ります〟と書かれた木の看板を掲げたり、貼り紙をしている家もあった。
稼業というわけではなく、洋裁の得意な女性たちの副業みたいなもの。 当時は、裁縫全般も花嫁修業のひとつであった。 子供たちも母親が作ってくれた服を着るのは、自慢で、誇らしい気がしたものだ。
今、小学校でもブランドものの制服が採用されることを思うと隔世の感がある。 母が作ってくれた服は、子供たちにとって思い出として永遠に記憶されているだろう。

昭和18年の同志社女子専門学校(後に同 志社女子大学)での大西マサエ教授の洋 裁の授業風景。同志社女子大学は、新島 襄により明治9年に設立された女子塾を前 身とし、それまでの専門学校を母体に昭和 24年に設置された女子大学で、キリスト教 主義を基本に、国際主義、リベラル・アーツ を教育理念として定めている。 写真提供:同志社女子大学

明日は子供の遠足か学芸会かなのだろう。子供がハレの日に着る洋服を作るために、母親が夜遅までミシンを踏み、布地を繕い裁つ。子供は新しい服が出来てゆくのがうれしくて、なかなか眠れない。

昭和の家庭でよく見られた光景で はないか。子供の服は、既製服ではなく、母親が自分で作る。そういう時代が確かにあった。ミシンは家庭には必需品だった。

洋服を家庭で作る。つまり「洋裁」。既製服が全盛の時代、「洋裁」という言葉も次第に死語になりつつあるが、昭和の家庭では、「洋裁」は日常風景だった。

 

【昭和の映画に登場するミシンを踏む女優たち]

 

昭和六年に公開された日本最初の トーキー映画、五所平之助監督の『マ ダムと女房』では、東京の郊外住宅に住む、若い奥さん、田中絹代がミシンを踏で洋服を作っている姿がとらえられている。

当時は、まだミシンは貴重品。洋裁をする主婦はモダンだったことだろう。

昭和二十六年に公開されたホームドラマ中村登監督の『我が家は楽し』は、東京の世田谷あたりのサラリー マン(笠智衆)一家の物語。子供が四人もいるから、母親の山田五十鈴は、毎日のようにミシンを踏んで、子供たちの服を作る。

この時代、既製服を買うのは贅沢で、とりわけ子供の服は、母親が自分で作ることが多かった。そういう時代だったからだろう、昭和二十五 年のお年玉年賀はがきの特等の賞品はミシンだった。

若い女性にとっても、「洋裁」を覚えることは、「手に技術を持つ」大事なことだった。

昭和三十一年に公開された映画、 幸田文原作、成瀬巳喜男監督の『流れる』では、東京柳橋の芸者置屋の娘、高峰秀子が、自分は母親(山田五十鈴)のように、芸者になる自信はないので、「洋裁」で身を立てようと、ミシンを買って勉強をはじめる。

まだ女性の職業が限られていた時、「洋裁」は数少ない自立の手段になっている。

……続きはVoi.35をご覧ください。

かわもと さぶろう
評論家(映画・文学・都市)。1944年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャー ナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。『大正幻影』 (サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎 日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5冊)『映画を見ればわかること』 『向田邦子と昭和の東京』『それぞれの東京 昭和の町に生きた作家たち』『銀幕の銀座 懐かし の風景とスターたち』『小説を、映画を鉄道が走る』(交通図書賞)『白秋望景』(伊藤整文学賞) 『いまむかし東京下町歩き』『成瀬巳喜男 映画の面影』『映画の戦後』『サスペンス映画ここにあ り』『日本すみずみ紀行』『東京抒情』『ひとり居の記』『物語の向こうに時代が見える』『「男はつ らいよ」を旅する』『老いの荷風』など多数の著書がある。


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