一本の鉛筆が大事だった頃

 ~鉛筆削りは昭和の母の思い出~

 

脚本家で映画監督の新藤兼人は、シナリオを書くのに鉛筆を使った。
机には綿棒の容器に常時20本くらいの鉛筆が立っていた。
その鉛筆を削っていたのは、乙羽信子だった。真夜中にガリガリと鉛筆を削る音がする。
「乙羽さんは、寝る前にきまったように鉛筆を削るのである」とエッセイに書いている。 乙羽は、決まって三菱の2Bの鉛筆を削っていたという。
長谷川町子の4コマ漫画「サザエさん」には、 勉強机に向かい宿題に取り組んでいるかと思ったカツオが、勉強が手につかず実は、ありったけの鉛筆を小刀で削っていたというオチがある。
当時は小学生でも小刀で器用に鉛筆を削っていた。
鉛筆削り器がない時代、子供のために鉛筆を削っていたのは母親だった。
一本の鉛筆にも、子供を思う母の愛が込められていたのである

古くから〝教育の中野〟と言われ るほど、子供の育成に力を入れ ている中野区。写真は昭和20 年、中野区大和小学校の児童の 学童疎開の様子。物のない時代、 子供たちは一本の鉛筆を大事に 使っていたに違いない。 写真提供:東京都中野区

大切に扱われた貴重品

 

アナログ人間なのでいまだにパソコ ンは使えない。原稿は昔ながらに鉛筆で書く。この原稿も鉛筆で書いている。
鉛筆は日本では明治に入ってから普 及した。とくに学校教育では鉛筆は貴重品で、生徒たちに大事にされた。
西條八十に「鉛筆の心(しん) 」という詩が ある。大正八年に児童雑誌「赤い鳥」に発表された。
 「鉛筆の心 ほそくなれ  削って 削って 細くなれ」

子供が小刀で一心に鉛筆を削っている姿が思い浮かぶ。注意しながら芯を細くしてゆく。折れないように丁寧に削ってゆく。

宮沢賢治の『風の又三郎』では、村の小さな学校で、鉛筆が子どもたちにとっていかに大事だったかが描かれている。

この童話は、書かれた年がはっきりしていないのだが、物語の舞台は大正末期か、昭和初期と思われる。

夏休みが終って子供たちが学校に戻ってくる。一年生から六年生までが ひとつの教室で勉強する。九月一日、 高田三郎という転校生がやってくる。 風の又三郎と呼ばれるようになる。

二日目。四年生の佐太郎が昨日、鉛筆を失くしてしまったので、妹の三年生のかよの鉛筆を取ってしまう。

妹のかよは泣きはじめる。それを見た又三郎は、佐太郎に自分の「半分ばかりになった鉛筆」をあげる。喜んだ佐太郎は、妹に鉛筆を返す。

村の小さな学校では、半分になった鉛筆でも貴重品になっている。妹のかよが鉛筆のことを「木(月)き)ぺん」と言っているのが面白い。

…… 続きはVol.37をご覧ください。

北名古屋市にある昭和日常博物館で「昭和文具・ラボ」という企画展を開催した折に寄贈された「鉛筆人形?」。昭和30年 代頃の鉛筆らしい。小刀で削ってこれ以 上は使うことができないところまで使った 鉛筆に顔が描かれている。鉛筆を大切に していた心が伝わる一品だ。 写真提供:昭和日常博物館

かわもと さぶろう
評論家(映画・文学・都市)。1944年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャー ナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。『大正幻影』 (サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎 日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5冊)『映画を見ればわかること』 『向田邦子と昭和の東京』『それぞれの東京 昭和の町に生きた作家たち』『銀幕の銀座 懐かし の風景とスターたち』『小説を、映画を鉄道が走る』(交通図書賞)『白秋望景』(伊藤整文学賞) 『いまむかし東京下町歩き』『成瀬巳喜男 映画の面影』『映画の戦後』『サスペンス映画ここにあ り』『日本すみずみ紀行』『東京抒情』『ひとり居の記』『物語の向こうに時代が見える』『「男はつ らいよ」を旅する』『老いの荷風』など多数の著書がある。


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