駅の別れ

 

 

プラットホームに発車のベルが鳴り響くと 堰を切ったように人々の感情が動き出す。

戦時中の出征兵士とそれを見送る家族には 覚悟を迫られる最後の合図にも聞えたであろうし 高度経済成長期に臨時に仕立てられた集団就職列車で 地方の農村から大都市へと向かう子供たちには 親元を離れる寂しさと不安が一気に募る、哀しい響きであり 恋の道行きの男と女には、前へ進むか後戻りするか 思案の最終通告の音だったかもしれない。

昭和の時代、駅という場所は出会いよりも 別れの舞台という色合いが濃く、 駅での別れにはそれぞれのドラマがあった。 今、電車の発車音はメロディ音になり 別れのイメージも薄らいできたような気がする。

 

◇メロドラマの王道的な 駅のホームのすれ違い

 

鉄道の駅は別れの舞台になる。

列車に乗って去ってゆく者。プラッ トホームで見送る者。駅は別れの場所 として人々に記憶されてゆく。

昭和の恋愛映画の代表作、昭和十三 年(一九三八)に公開された野村浩将 監督の『愛 染かつら』には有名な駅の 別れがある。

ヒロインの高石かつ枝(田中絹代) はいまふうに言えばシングルマザー。 子供を抱えて大病院で働く看護婦。院長の息子で医師の津村浩三(上原謙)に愛されるが、彼女は未亡人。津村の 親に反対される。

二人は思い切って京都へ駆け落ちすることにする。

夜の十一時に新橋駅で待ち合わせ る。ところが、その日、彼女の子供が 病気になる。約束の時間が刻々と迫る。 無論、まだ携帯電話などない時代。

彼女は仕方なく、子供を姉(吉川満 子)に預けると、タクシーで新橋駅に 駆けつける。
入場券を買って、階段を駆け上がり、 ようやくホームに出ると、ああ、無情 にも浩三を乗せた列車は走り出したと ころ。「浩三さま!」と叫んでも、も う声は届かない。
典型的なメロドラマの別れ。多くの 観客の涙を誘い、映画は大ヒットした。 昭和十三年と言えば、前年に日中戦争 が始まっている。そんな時代にメロド ラマがヒットする。まだ時代に余裕が あったのだろう。

 

◇出征する父や息子を ホームで見送る家族たち

 

戦争が長引くにつれ、駅は出征兵士 を見送る場所になってゆく。

昭和十四年に公開された成瀬巳喜男 監督の家庭劇『まごゝろ』では、最後、 小学生の娘のいる父親(高田稔)が、 駅(甲府駅)から列車に乗って出征してゆく。それを家族や町内会の人達が 「万歳」と見送る。
戦争に行く父親を見送るのは、娘に とってつらいことだろうが、戦時中の 映画だから、そこは明るく描いている。

当時の歌謡曲に「軍国の母」(作詞・ 島田磬也、作曲・古賀政男)がある。 出征する息子を見送る母親の気持が、 こう歌われている。 「名誉の戦死頼むぞと」「涙も見せず 励まして 我が子を送る朝の駅」。そういう時代だった。

 

◇駅は人の心を感傷的にさせる

 

戦争が終って平和が戻り、駅は再び、恋愛映画に恋人たちの別れの場として登場する。
木下惠介監督の飛騨高山を舞台にした『遠い雲』(55年)。

高山の名家の青年(田村高廣)が夏の休暇に、東京から故郷に戻ってくる。彼には初恋の人(高峰秀子)がいる。二人は愛し合っていたが、彼女は家の事情で他の旧家に嫁いだ。いまは未亡人になっている。

再会した二人のあいだに恋が再燃する。東京へ駆け落ちすることになる。朝の高山駅で待ち合わせる。

先に来た青年が駅で待っている。遅れて彼女が来る。列車に乗ろうとするが、小さな子供を家に置いて来た彼女は乗るのをためらう。青年一人を乗せた列車が去ってゆく。

悲しい恋の別れになっている。駅は人の心をどこまでも感傷的にするのだろう。

理知的な三島由紀夫でさえ『仮面の告白』では、きわめて感傷的な駅の別れを書いている。

終戦間近の昭和二十年の夏、東大生の「私は」、園子という女性と愛し合う。信州に疎開している彼女と別れ、東京に帰る。その別れの場面。

「列車が動き出した。園子の幾分重たげな唇が、何か口ごもっているような形をうかべたまま、私の視野から去った」「園子! 園子! 私は列車の一トと揺れ毎にその名を心に浮べた」

 

◇弟の汽車を追ってホームを走る姉の涙

 

駅の別れは大人たちにとってもつらいのだから、子供にとってはなおのことだろう。

水木洋子脚本、今井正監督の『キクとイサム』(59年)は、混血児のキクとイサムの姉弟と、ふたりを育てる心やさしい祖母の物語。

終戦後の日本社会で、進駐してきたアメリカのGIと日本の女性とのあいだに生まれた混血児の存在は大きな問題になっていた。

キク(高橋恵美子)と弟のイサム(奥の山ジョージ)は会津の山里で祖母(北林谷栄)に育てられている。農家の暮しは決して楽ではないが、祖母は二人に優しい。

しかし、これから先のことを考えると、混血児は日本よりアメリカにいるほうがいいかもしれない。祖母は、考えた末にイサムをアメリカに養子に出すことにする。

駅の別れになる。田舎の小さな駅に汽車が入ってくる(会津の駅という設定だが、撮影は、埼玉県の八はちこう高線の寄より居い駅でされている)。

イサムが列車に乗り込む。本当はアメリカに行きたくない。それでも祖母が考えたことだから仕方がない。キクも弟とは別れたくない。

汽車が走り出す。それまで静かに見送っていたキクが突然、汽車を、弟を追ってホームを走り出す。去ってゆく汽車を必死で追う。

ホームの先まで来て、汽車を見送るキクの目から涙がこぼれ落ちる。

いつ見ても、この場面は涙を禁じ得ない。

 

◇家族と別れ汽車に乗る子供たちの不安な旅立ち

 

昭和三十年代の高度経済成長期、地方の中学校を卒業した少年や少女たちが、若い労働力として東京に出た。集団就職と呼ばれ、まだ十代なかばの子供たちが、特別仕立ての列車で故郷を離れた。

集団就職で秋田県の農村から東京に働きに出た子供たちの行く末を描いた小杉健治のミステリー『土俵を走る殺意』には、昭和三十七年、八はちまんたい幡平の麓の町から、中学校を卒業した子供たちが、東京への列車に乗る様子が描かれている。

ホームいっぱいに別れの言葉が行き交う。やがて発車のベルが鳴る。列車は上野へ向かって走り出す。八幡平の山が見えなくなると車内のあちこちから少女たちのすすり泣きが聞えてくる。やがて「そのすすり泣きが号泣に変わった」。

まだ小さな子供たちが家族と別れ、見知らぬ大都会に出てゆく。涙が出ても無理はない。

山田洋次監督の『男はつらいよ』シリーズ第七作「奮闘篇」(71年)には、冒頭、渥美清の寅が新潟県の小さな駅で、集団就職の子供たちを見送る場面がある。只見線の越後広瀬駅で撮影されている。寅が、自分もその列車に乗る予定なのに、見送りに熱心になってしまい、乗り損うのが笑わせる。

小津安二郎監督は鉄道好きだった。ラストシーンにはよく走り去る鉄道を登場させた。

戦前の『父ありき』( 42 年)をはじめとして『お茶漬の味』(52年)『東京物語』(53年)『東京暮色』(57年)『彼岸花』(58年)『浮草』(59年)と数多い。

汽車が去ってゆくところで物語を終らせる。そこに無常観がにじみ出る。『東京物語』の最後、原節子演じる戦争未亡人は、尾道で行なわれた亡夫の母親の葬儀に出席したあと、一人、尾道から東京へと汽車で帰ってゆく。物語の終りと人の生の終りが重なり合い、深い余韻を残す。

 

川本三郎
評論家(映画・文学・都市)。1944 年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5冊)『映画を見ればわかること』『向田邦子と昭和の東京』『それぞれの東京 昭和の町に生きた作家たち』『銀幕の銀座 懐かしの風景とスターたち』『小説を、映画を、鉄道が走る』(交通図書賞)『君のいない食卓』『白秋望景』(伊藤整文学賞)『いまむかし東京下町歩き』『美女ありき―懐かしの外国映画女優讃』『映画は呼んでいる』『ギャバンの帽子、アルヌールのコート:懐かしのヨーロッパ映画』『成瀬巳喜男 映画の面影』『映画の戦後』『サスペンス映画ここにあり』『東京抒情』『ひとり居の記』など多数の著書がある。


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