喜劇の人 森繁久彌

昭和30年代から40年代前半にかけて 日本中を笑いの渦に包んだ映画シリーズがあった。 東京都心のビジネス街を舞台にした都会派サラリーマン喜劇〈社長シリーズ〉と下町や地方都市を舞台にした庶民感覚の風俗喜劇〈駅前シリーズ〉だ。
いずれも森繁久彌を中心に座組みされ、〈社長〉では小林桂樹、加東大介、三木のり平、 〈駅前〉では伴淳三郎、フランキー堺といったレギュラー陣が絶妙な笑いのアンサンブルを見せそれぞれ東宝映画、東京映画を支えるドル箱長寿シリーズとなった。
今、改めて映画を見直してみると、森繁久彌という俳優の笑いの資質が両シリーズの軸であったことに気付かされる。
ギャグで呼び込む笑いではなく、芸で誘う笑い、計算されつくしているのに、 観る者にそれを忘れさせる懐の深い笑い。
俳優・森繁久彌は確かに喜劇の人であった。

企画協力・守田洋三氏 写真提供・東宝

Vol.17(21015年10月1日号より)

社長シリーズで森繁社長の夫人を演じたのは久慈あさみ(写真右) で、第3作の『はりきり社長』 (昭和31年)で登場以来シリーズ最終 作まで出演。写真は第16作『社長漫遊記』 (昭和38年)。©東宝

森繁 久彌(もりしげ ひさや)

1913年(大正2年)大阪枚方市に生まれる。本年(2015)は生誕百年に当る。早稲田大学商学部を経て東宝新劇団へ入団。その後NHKアナウンサーを経て、終戦後 は映画、舞台、テレビと活躍し日本を代表する俳優となる。映画初主演作は50年の『腰抜け二刀流』で、映 画『社長シリーズ』 『駅前シリーズ』のほか、『次郎長 三国志』シリーズ、『警察日記』 『夫婦善哉』 『猫と庄造 と二人のをんな』 『暖簾』 『地の涯に生きるもの』 『青べか物語』 『台所太平記』 『男はつらいよ 純情篇』 『恍惚 の人』 『小説吉田学校』 『流転の海』 『四十七人の刺 客』、舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』 『佐渡島他吉 の生涯』 『孤愁の岸』 『狐狸狐狸ばなし』 『赤ひげ診療 譚』 、テレビ「七人の孫」 「だいこんの花」 「どてかぼちゃ」 「元禄太平記」 「三男三女婿一匹」 「熱い嵐」 「関ヶ原」 「おやじのひげ」 「小石川の家」 「大往生」 「向田邦子ドラマスペシャル」など多数の代表作がある。菊池寛賞、紀伊國屋演劇賞、菊田一夫演劇大賞、芸術選奨 文部大臣賞、文化功労賞、国民栄誉賞、紫綬褒章、 勲二等瑞宝章、文化勲章、従三位など多くの受章歴がある。2009年11月10日96歳で死去。

屋根の上と、縁の下の森繁さん

文:黒鉄ヒロシ

昭和38年の『社長漫遊記』の出演 者たち。左から、のり平、加東大介、 淡路恵子、森繁、池内淳子、藤山 陽子、小林桂樹、雪村いづみ。小 林は真面目で融通のきかない社長秘 書といった役どころ。小林の相手役を 多く演じたのは司葉子で第20作『社 長紳士録』 (昭和39年)では結婚を 果す。森繁社長は恐妻家で女性に 目がないというところから、浮気場面も 必ず登場するが、未遂に終わるのが お約束。シリーズのモラルであり、笑 いを誘う場面でもある。©東宝

明るく元気だった 高度成長期を支えた 〈社長シリーズ〉

森繁久彌による〈社長シリーズ〉の1本目となる『へそくり社長』が製作され たのは1956年。

その後、シリーズは32本を数え、1970年の『続・社長学ABC』の33本目 をもって打ち止めとなった。

この〈社長シリーズ〉の寿命である 56 年から 70 年にかけての間にすっぽりと収 まる 58 年から 69 年に、弟分のような〈駅前シリーズ〉がある。

「もはや戦後ではない」との有名な経済白書が発表されるのが 51 年。

戦後復興として象徴的な東京オリンピック開催が64年。

今少し時代の点検を続けると、東京タワーの完成が58年、オリンピック開催地に決まるのが59年、ホテル建設ラッシュが60 年、大鵬の横綱昇進と所得倍増計画 の発表が61年、首都高開業が62年、翌63年力道山が亡くなり、64 年が新幹線開業と東京オリンピック開催、その後も底抜けに明るい長嶋の活躍、ビートルズ来日と元気一杯で、68 年、ついに日本はGNPでアメリカに次いで世界第2位の経済大国の位置を占めるに至る。

〈社長シリーズ〉33 本と、〈駅前シリー ズ〉 24 本は、日本の高度経済成長の時期にピタリと重なる。

1本目が製作された56年の時点では、およそ10年程のちに現実となる世界史上の奇跡といって良い日本の復興と発展はまだ見えてはいない。

高度成長期を横目に、まさに少年から青年の身分で通過する僥倖(?)に浴し た小生の感想はといえば「とにもかくにも、日本は明るくて元気だったなァ」という能天気なものだが、この「明るい」なる形容詞は大いに〈社長シリーズ〉が支えた部分があるのではないか。

〈あのねのおっさん〉 〈シミキン〉 〈エン タツ・アチャコ〉等、喜劇のラインは戦前から存在してはいたが、〈社長シリー ズ〉は現代的で明るい上にちょいとエッチで、子供を含めて、復興途上の日本人の腑に落ちた。

音楽のラインもあって、シナトラ、プレスリー、ビートルズ、フォークソング 等に誘われて、後に多くのミュージシャンが誕生することになる。

〈社長シリーズ〉は何を生み出したか。

その前に、見落とされがちだが、所謂 〈洋モノ〉なるラインもあった。
 
輸入本の「PLAYBOY」を平面の 代表として、「パパは何でも知っている」 や「ルーシーショー」等の米国産TV番組である。

これらのライン上にクレージーキャッ ツが立って「シャボン玉ホリデー」に繋がる。

この幾重にも重なった流れのウェストやヒップやらの部分に棹さしながら〈社長シリーズ〉は時代の流れを進んでい た。

磨き込まれた落語をバックボーンとす る日本人は、笑いに対する理解と許容の 度に於いて他国に比べてトップクラスに あると云える。

更に下って、イギリスから〈モンティ・パイソン〉が流入するに及んで、笑いを中心に据えるエンターテインメントを愛でる群れが出来上がった。

昭和39年公開のシリーズ7作『喜劇 駅前女将』のポス ター。『東宝75年のあゆみ』によると、駅前シリーズは昭和 33年に第1作『駅前旅館』が公開され、昭和44年の『喜 劇 駅前桟橋』まで全24作が製作されている。森繁、フラン キー堺、伴淳三郎のトリオに三木のり平や加東大介もレギュ ラー出演、淡島千景、淡路恵子、池内淳子、大空眞弓、 乙羽信子、森光子らが相手役を演じた。時代時代の趣向 を凝らした時事ネタやゲスト陣も話題だった。©東宝

昭和38年公開のシリーズ16作『社長漫遊記』のポス ター。社長シリーズは昭和31年公開の『へそく り社長』を 第1作とし、昭和45年公開の『続・社長学ABC』まで 全33作が製作されている(参考資料『東宝75年のあゆ み』)。社長シリーズといえば、小林桂樹、加東大介、三 木のり平と森繁との絶妙なアンサンブルが魅力だったが、 森繁社長が会長となるシリーズ32作『社長学ABC』では 小林桂樹が社長に昇格した。また、怪しげな外国語を話 す日系人や、強烈な方言でしゃべる地方の名士役などで登 場するフランキー堺も欠かせない。©東宝

記念すべき駅前シリーズの第1作は井伏鱒二 の小説を豊田四郎監督が映画化した昭和33 年『駅前旅館』で、どちらかといえば文芸路線 であった。好評だったため、3年後の昭和36 年に第2作『喜劇 駅前団地』が作られシリー ズ化がスタートした。淡島千景、淡路恵子、 草笛光子、浪花千栄子も出演。©東宝

社長シリーズでは宴会芸もおなじみの シーンで昭和31年第1作の『へそくり 社長』では森繁とのり平がドジョウすくい を見せた。第11作『続・社長道中記』 (昭和36年)での宴会芸は夫・森繁 &妻・のり平による新婚夫婦の入浴シー ンだった。のり平の役は出張と宴会が 好きな部長で「パーッと行きましょう」が口 癖。小林桂樹は第1作から出演してい るが、加東大介の出演は第4作『社長 三代記』 (昭和33年)からになる。第1 作には八千草薫、司葉子、越路吹雪、 上原謙らも出演。©東宝

昭和37年公開シリーズ4作『喜劇 駅前温泉』には、森繁、フラン キー、伴淳、淡島、淡路、池内などおなじみのレギュラーに加えて、 司葉子(左から5人目) 、夏木陽介(左から2人目) も出演。舞台は 会津の温泉旅館だった。©東宝

横浜中華街を舞台にしたシリーズ5作の『喜劇 駅前飯店』 (昭和37年)には、当時読売巨人 軍の王貞治選手が本人役で出演した。駅前 シリーズでは時代の人気者がゲストとして登場 するのも定番で、第6作『喜劇 駅前茶釜』 (昭 和38年)には、プロレスラーのジャイアント馬場 が出演している。写真は左から伴淳、乙羽信 子、王選手、フランキー、のり平。©東宝

お茶目を通り越して ダンディズムの領域に至る 芸能者の本能

この時代に少年期と青年期が重なった小生をサンプル、或いはモルモットとすると、笑いや面白いことに異様に敏感な年代が生まれた。

それまで〈意匠〉などと呼ばれていた図 案関係はデザインなる新しい名に替わって多くの若者が美術大学の門を潜った。

当時の時代背景と、現在進行形で通過した若者の気分のスケッチに紙幅の多くを割いた理由は、数十年後に実現た対談を紹介したい為である。

のちに点検して、小生が笑いを中心に据える漫画家になろうとする背中を〈社長シリーズ〉が強く押していたことに気付いた。

年月を経て、笑いを共通分母として、森繁さんとの対談が、雑誌の企画として実現したのだ。

杖をついて対談場所に現れた森繁さんの機嫌は良くも悪くもないようだった。

能楽を構成する〈序破急〉の〈序〉、或い は漢詩の絶句の組み立て方の〈起承転結〉の〈起〉 、もしくは〈はじめチョロチョロ、なかパッパ〉の立ち上りであるなと、当方も黙礼でお迎えした。

着席するなり、森繁さんは左手を杖に添えたまま、右手をヒラヒラと動かして意外な提案をされた。

右手だけのジェスチャーから読み取った 内容は〈当方、耳の調子悪しき故、本日は 筆談にての進行を希望する〉というものであるらし。

対談は30年程も遡るが、当時の森繁さん は現在の小生程のお歳で、さ程に体調がお宜しくない状態ではなかったが、なにせ天下の森繁さんよりの提案である。

当方は筆談による進行に素直に従った。

紙片を取り出し「まず、満州時代のNHKアナウンサーの頃のお話から――」と書く小生の手元を、やや顎を上げ小首を傾げながら覗き込む姿勢から、軽く頷 かれた森繁さんは、ご自分を物真似するように「マンシュハネ」と口火を切られた。
 
夢か現(うつつ) か幻か、 〈社長シリーズ〉の世界に迷い込んだ心地して、対談の緊張もふっ飛び、幼年期より憧れの、影響あって漫画の道へと転び出た因となった森繁節の中にある至福の刻(とき) の刻(とき) 。

話題が満州時代から生い立ちを経て、〈社長シリーズ〉へと侵入した辺りで、紙片に書き込む当方の作業は不要となった。

「次はこの話を」と、編集者氏と小声の 打ち合わせを遮(さえぎ)られて「ウン、あのシリーズはね」と話を進められる。

予想通り、ナンダ、最初から聞えてたんじゃないですか。

以降は通常の対談となったが、全てに於いて何がしかを施したがる芸能者の本能は、お茶目を通り越してダンディズム の領域にあった

昭和36年公開シリーズ3作『喜劇 駅前弁当』 には花菱アチャコ(森繁とフランキーの後方)や 柳家金語楼(伴淳三郎の左隣) といったベテラン 喜劇人たちとの共演が見られたほか、人気絶頂 の歌手・坂本九も出演していた。©東宝

同時代の日本人に 確たる影響を与えた 〈社長〉と〈駅前〉

「黒澤監督の映画が評判でしたがね、ナニ、あの元手は〈社長シリーズ〉の稼ぎから出ていたんですから、私等がつくったようなものでしてね」 。

外が意表をついたスタイリングから 入れば、内なる会話も充分にスリリング で、エッセイに於いても名手であった森繁さんの言葉の流れへの棹のさし方に、 当方、天晴れと口を開いたまま。

森繁船に乗せられて、楽しみ始めた小生は、その筆によるエッセイで読んだ 〈纏足(てんそく) 〉の話など持ち出す始末。

過ぎる時間も忘れ、〈社長シリーズ〉 と〈駅前シリーズ〉の、思いつままの 質問は対談者のスタンスを忘れ一ファンの立場に成り下った。

肩の力が抜けて素直になった、笑いの森に棲む小動物である新参者に、百獣の王が答えてくれる。

もはや読者のことや対談の出来上りなど念頭になく、当方が『スラバヤ殿下』 を持ち出すに至り、笑いの森の百獣の王も堪らず笑ってくれたようだ。

怪しげなスラバヤ国の殿下が来日して、繰り広げられるドタバタ劇で、シリーズ中の何れの話か今は忘れたが、森繁さんの記憶力凄まじく当時を克明に再現したのみばかりか、のり平さんが、フランキーさんがと、撮影後のみんなしての武勇伝にまで話が及び、その可笑しさ面白さに心底驚いた。

弱々しくついて見せた杖も、対談の為 の読点か句点の役であったのかと合点がいく。

〈社長シリーズ〉と〈駅前シリーズ〉とが、敗戦から復興期を経て、世界第2位 のGNPの座を獲得する迄の日本人に与 た影響の確たる数字には現れないにしても、同時代を通過したはしくれとしては確信を持つ。

森繁久彌という稀代の才能を中心に包み込み、一家とも云える〈社長〉と〈駅前〉 のシリーズが丸い光源となって、当時の日本の様々なジャンルを照らし拡散し影響を及ぼした。

光を浴びた孫、ひ孫の代では直接の光源はもはや遠く、正体を探すも覚束無いどころか、辿る地図さえも遺されてはいないから、現在に続く〈社長シリーズ〉の功績を讃える声も低いが、当時に森繁を筆頭に、綺羅星の如く居並ぶ芸能者群を 持つことの出来た日本人には、げに僥倖であった。

明治維新、日清、日露の両戦など、武張った歴史の表には、決して現れることのない、裏とも云うべき文化面で発揮された才能に向ける日本人の視力は弱く なったようである。

森繁の代表作は『屋根の上のヴァイオリン弾き』ならぬ、 「日本復興の、縁の下の力持ち」の功績にこそあった。

シリーズ15作『続・社長洋行記』 (昭和37年)で浮気相手を演 じたのは新珠三千代(写真左)。 そのほかには淡路恵子、草笛光 子、池内淳子らが浮気の相手とし て森繁社長を惑わした。©東宝

昭和39年公開のシリーズ7作『喜劇 駅 前女将』は両国が舞台で、角界からも 栃ノ海、佐田乃山、栃光、出羽錦など がゲスト出演した。写真は左から京塚昌 子、森光子、伴淳三郎、三木のり平(手 前) 、加東大介、森繁、フランキー、池 内淳子、淡島千景、沢村貞子。©東宝

発売・販売元:東宝  [問]03-3539-3451(東宝ビデオお客様センター)

くろがね ひろし

漫画家。1945年高知県 生まれ。68年に『山賊の唄が聞こえる』で漫画家としてデビュー。87年第18回講談 社出版文化賞さしえ賞、97年『新選組』 で文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、および第43回文藝春秋漫画賞を受賞。98年には『坂本龍馬』で第2回文化庁メ ディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞。02 年に『赤兵衛』で第47回小学館漫画賞審 査委員特別賞受賞、04年紫綬褒章受章。 『信長遊び』 『千思万考』 『新・信長記』 『GOLFという病に効く薬はない』など多数の著書がある。


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