作詞家・阿久悠の仕事

昭和の時代には、おじいちゃん、おばあちゃんから孫の世代まで 家族全員誰もが口ずさめる、日本人の歌があった。
都はるみ『北の宿から』、八代亜紀『舟唄』、沢田研二『勝手にしやがれ』、 山本リンダ『どうにもとまらない』、ピンク・レディー『UFO』……。
そして、これらは全て阿久悠さんの作詞である。 『もしもピアノが弾けたなら』、『青春時代』、『みずいろの手紙』、 『学園天国』、『宇宙戦艦ヤマト』も『ピンポンパン体操』も、阿久さんの作。 日本人の心に寄り添うように、いつも傍らに阿久さんの歌があった。
阿久さんの長年の友人であった演出家・エッセイストの鴨下信一さんは、それは、阿久さんの詩の形式のほとんどが 日本の伝統的詩歌に由来するからだと言う。 ここに阿久さんの詩作スタイルの本質が明らかにされる。

取材協力&株式会社オフィス・トゥー・ワン/明治大学総務課大学史資料センター  Vol.10(21012年1月1日号より)

撮影・稲越功一

阿久 悠(1937-2007))

あく ゆう/1937年淡路島に生まれる。59年明治大 学文学部日本文学専攻卒業、広告代理店・宣弘社入社、コピーライター・CM制作を手がけながら放 送作家としても活動。66年に退社し放送作家、作詞家としての活動を本格化させる。67年にザ・モップスの「朝まで待てない」でA面デビュー。歌謡曲、 アニメソング、CM曲まで幅広いジャンルでヒット曲を送り出し手がけた数は5,000曲以上。日本レコード 大賞受賞は史上最多の5回、シングルレコードの売り上げは6,800万枚を超え作詞家歴代第1位。作 詞のみならず直木賞候補となり映画化された『瀬戸 内少年野球団』をはじめとする小説、エッセイ、詩歌 を多数発表している。『殺人狂時代ユリエ』で横溝 正史賞、掌編小説集『詩小説』で島清恋愛文学賞を受賞。97年には30年間にわたる作詞活動に対し て菊池寛賞受賞。その後、紫綬褒章、旭日小綬章 受章。07年に70歳で永眠。

日本人が愛した歌謡曲

文:鴨下信一

阿久悠の歌で都はるみは新しいイメージを打ち出し、森山加代子は8年ぶりの紅白出場を果たし、石川さゆりは演歌歌手としての一歩を踏んだ。

芭蕉を正確に学んだ阿久悠

 

阿久悠記念館が母校明治大学に建った。小型の記念館はわたしたち それぞれの胸の中にあって、入ればそこには愛した阿久悠の歌がある。 どの歌も日本人の心の琴線(きんせん)を打つ歌だ。

詩の内容もそうだが、実は詩の 〔形式〕が日本人の魂を揺さぶるのだ。その形式はほとんど日本の伝統的詩歌に由来するので、だからこそ、あれだけ歌の世界を革新する作業をしたのに、彼の作詞が日本の大衆に根強く支持されたのだろう。

例えば――あの『白い蝶のサンバ』を阿久悠は〔七五調〕で書いた──こういったら笑うだろうか。あの早口ことばのような歌詞が古風な七五調だなんて……。

『白い蝶のサンバ』(昭和 44 年、曲・ 井上かつお、唄・森山加代子)〈あなたに抱かれてわたしは/蝶 になる あなたの胸あやしい/くもの糸〉
ちなみに、たいていの「うたの本」 の歌詞は間違っている。問題は〔区切り方〕で、〈あなたに抱かれて/ わたしは蝶になる〉は間違いだ。譜面を見ればすぐわかる。〈〜わたしは〉までで1小節( 12 音)、〈蝶になる〉は5音しかないけれども、これも同じ1小節。次の行も10音と5音がそれぞれ1小節に収まる。

和歌 は 57577、俳句 は 575、日本人なら誰でもが知っている。しかし芭蕉の有名句にも
〈芭蕉野分(のわき)して 盥(たらひ) に雨を聴きく 夜(よ)哉 かな 〉〈枯枝に 烏(からす) のとまりたるや秋の暮〉のように875とか5 10 5といった〔字余〕と呼ばれるものがある。『白い蝶のサンバ』はこれなのだ。

七五調の5音7音も発音する時間は同じというのが日本語の約束で、だから7音の部分は5音の部分 にくらべて音が詰っている。つまり聴くほうの耳には〈速く〉聞こえる。これが日本語の基本リズムになる。阿久悠はこれを利用したのだ。 ただ、7音のところを 11 ・ 10 と増やした。加速した。これが新しいリズム、新しい魔法だった。

加速したけれども〈蝶になる〉〈くもの糸〉と5音のところはそのまま残した。これで安定感がぐっと増した。作詞家の技術といえよう。芭蕉の字余り句も、終りの5音は崩してない。阿久は芭蕉を〔正確に〕学んだのだ。

撮影:久米正美

和歌の技法[掛け詞]を中心に展開した『北の宿から』

 

和歌から学んだものは『北の宿から』にある。

『北の宿から』(昭和50年、曲・小 林亜星、唄・都はるみ) 〈あなた変りはないですか 日毎寒さがつのります 着てはもらえぬセーターを 寒さこらえて編んでます 女ごころの未練でしょう あなた恋しい 北の宿〉

和歌のサンプルをひとつ。
〈来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩(もしお)の身もこがれつつ〉
昭和40年ごろまでは、お正月というとどの家庭でも〔百人一首のかるた取り〕をやったものだ。これは小倉百人一首の中の一首、撰者といわれる藤原定家の作だ。この中に和歌の三大技法が全部入っている。〔掛け詞 〕〔歌枕〕〔本歌どり〕そして 〔縁語〕。

〈まつほの浦〉は淡路島(阿久悠の 故郷だ)の名所で、しばしば和歌に詠まれた。こうした地名を歌枕というのだが、これと本歌どりはまた後で説明する。この〈まつ〉が〈待つ〉と掛け詞になっているのはすぐわかるだろう。〔同音異義語〕違う言葉 だけれど音が同じという日本語はとても数が多いから、この技法は極端に発達した。

『北の宿から』の掛け詞はすぐわかる。〈着てはもらえぬ〉だ。これは〈来てはもらえぬ〉だろう。二重の意味があるのだ。この大ヒット曲はこの掛け詞を中心に展開している。縁語とは意味や感覚を同じくする関係語のことで、北、寒さ、セーター等がちりばめられている。

歌詞は三番まであるが、〔繰り返し(リフレイン)〕 のところを見て頂きたい。従来の歌詞曲なら〈女ごころの未練でしょうか ・ 〉と言うところだ。これが〈未練でしょう〉と〔言い切り〕の型になっていて、これが旧い女でない、新しい女性のきっぱりした生き方の表現になっている。さらに、もう未練を断ち切ったのだの意味を含んでいる ――発表当時、そう評判になったのだが、この新しさと掛け詞の古典性 とが同居しているところが、いかにも阿久悠なのだ。
 
三番の歌詞の出だしは衝撃的で
〈あなた死んでもいいですか〉と始まる。続けて〈胸がし ・ んし ・ ん泣いてます   窓にうつして寝化粧を   しても心は晴れません〉。この〈し〉の 乱舞はどうだろう。明らかに意図 的な言葉づかいで、これも実は伝統的な、旧くからある日本の歌の技法だ。落語に「しの字嫌い」という演目があるのでわかるように、日本人は非常に音に敏感な民族なのだ。

しかし、この歌の女主人公は結局立直るのだろうと思う。それは題名 『北の宿から』を見るとわかる。この歌は本当はハッピー・エンドなの だ。ここにもう一つの〔掛け詞〕が 秘されている。〈北〉は〈来た〉ではないのか。このタイトルは『来たの宿』ではないのか。
 
この悲しい(悲しく聞こえる)歌は、繰り返し聴いているうちに再生の歌のように聞える。オーバー に言っているわけではない。ぼくは知っているが、例にひいた〈来ぬ 人をまつほの浦の〉の歌は、これを 三べん唱える(火鉢の灰をならしながら)と〔待人来る〕という 呪いが あった。歌の魔術性を人々が信じていた時には人々は本当にそうしたのだ。

原作が映画化された『瀬戸内少年野球団』の撮影現場を訪れ監督の 篠田正浩さん(左) と談笑する阿久さん。この作品がきっかけで、2人は 友人という間柄になる。写真提供:表現社

森昌子、桜田淳子、伊藤咲子、岩崎宏美、石野真子、新沼謙治、ピンク・レディー、柏原芳恵……   いずれも阿久悠の詞でデビューを飾った「スタ誕」卒業生たち

企画から参加したテレビ「スター誕生!」で都倉俊一さん (左)、松田トシさん(中)とともに 審査員を務めた阿久さん。 写真提供:日本テレビ

愉快な〔本歌どり〕の 『ペッパー警部』

もとは旧く『万葉集』にあった歌(長歌)である。〈淡路島松帆の浦に朝なぎに玉藻刈りつゝ夕なぎ に藻塩焼きつゝ〉。海草に海水を何度かかけて乾し、さらに焼いて塩を採る風景を〔恋〕の歌に仕立て直したところが後世の名人定家の技なので、これを〔本歌どり〕という。 〔真似〕ではない。伝統的和歌の世界では、新奇よりも旧いものに何か の由 ゆかり 縁を、持っていることのほうが 大事だった。
阿久悠の愉快な本歌どりは『ペッパー警部』(昭和51年、曲・都倉俊 一、唄・ピンク・レディー)がそれだ。

アツアツの二人が〈私たちこれからいいところ〉になりかけた時、 ペッパー警部の邪魔が入る。年配の人ならすぐ、これには〔本歌〕があるのを思い出すだろう。昭和31年の 曽根史郎『若いお巡りさん』(詞・井 田誠一、曲・利根一郎)だ。 〈もしもし ベンチでささやく   お二人さん   早くお帰り 夜が更ける〉。

ペッパー警部の名の由来は、このころコーク系飲料の日本版が発売さ れていて、ドクター・ペッパーの名がついていたからだろう。けっこう 笑える名前だった。

これを今ふうに〔パロディ〕と呼 ぶのは当たらない。やはり本歌どりと言うべきだ。何故かというと、本歌どりは必ず何の歌が本なのか明示しなければいけないことになっていて、〈来ぬ人を〉の定家にしても〈夕 なぎに焼くや藻塩の〉の句(フレーズ) をそのままとり込んで、万葉集の歌が本歌なことを明らかにしている。

そこで阿久悠はこう作詞した。 〈もしもし君たち帰りなさいと  二人をひきさく声がしたのよアアア〉。

和歌(やまとうた)の作法をこの人はよく知っていたのだ。

森田健作「さらば涙と言おう」、西田敏行「もしもピアノが弾けたなら」、 杉田かおる「鳥の詩」などテレビの人気ドラマからもヒット曲を誕生させた阿久悠

写真提供:オフィス・トゥー・ワン

阿久悠の優しさを託された 歌のなかの脇役たち

すぐに紙数が盡きてしまう。〔歌枕〕は『津軽海峡・冬景色』(昭和52年、曲・三木たかし、唄・石川さゆり)の青森を挙げて代表としておこう。現地を見ないでその風景を描いたとの伝説があるが、妙なことをあげつらうものだ。歌枕は昔から現地など見ないものだ。あれは〔心の風景〕で、だからこそ連絡船が姿を消 しても情景は長く生き続けるのだ。

ぼくが好きなのは二番の 〈ごらんあれが竜飛岬北のはずれと 見知らぬ人が 指をさす〉の歌詞だ。

ここに出てくる〈見知らぬ人〉という〔点景人物〕がいい。こうした歌詞の、主人公でない、ちょっと出てくるキャラクターが巧いのだ。

『五番街のマリーへ』(昭和48年、 曲・都倉俊一、唄・ペドロ&カプリシャス) 〈五番街へ行ったならば マリー の家へ行き どんなくらししているのか見て 来てほしい〉

『ジョニイへの伝言』(昭和48年、 曲・都倉俊一、唄・ペドロ&カプリシャス) 〈ジョニイが来たなら伝えてよ 二時間待ってたと〉

『五番街〜』の主人公は男で、 『ジョニイ〜』の主人公は女だろう。 画面(といっていいほど映画のよう な情景だ)には出てこないマリーと ジョニイが副主人公格である。

しかし、もっと重要な人物がいる ことを忘れるわけにはいかない。五番街へ行ってマリーの様子を見てき てほしいと頼まれる人物、ジョニイへの「わたしはわりと元気だと」伝 言を託される(飲み友だちか、もしかすると酒場のバーテン)人。

この脇役たちがとてもやさしい。

〈もしも嫁に行って 今がとてもしあわせなら 寄ずにほしい〉と頼める人間であり 〈友だちなら そこのところ うまく伝えて〉。 うまく伝えてくれることを期待出来る人たちなのだ。

この人たちも、津軽海峡で「あれが竜飛岬」と指さしてくれた人も、 もし事情を打ち明けたら、いっしょに泣いてくれそうな人物である。点景に過ぎないように見えて、そうではない。阿久悠は人にやさしい歌を書人だったけれど、その優しさは これらの人物に集中しているように見える。

そしてよく考えてみると、この点景人物こそ〔歌を聴く私たち〕なの だと気がつく。  

いくら書いても書き尽くせない阿 久悠の歌の魅力がいちばん詰っているのがこの箇所だ。

歌詞出典は『日本のうた』(野ばら社刊)

かもした しんいち

演出家、エッセイスト。1935年東京生まれ。58年に東京大学文学部美術史科卒業、ラジオ東京(現・東京放送)入社、現在はTBSHD社長室顧問、TBSテレビ相談 役。テレビに「天国の父ちゃんこんにちは」シリーズ、「女たちの忠臣蔵~いのち燃ゆるま で」「花のこころ」など 200本以上を手がけた 東芝日曜劇場をはじめ、「岸辺のアルバム」 「幸福」「想い出づくり 」「 ふぞろいの林檎た ち」「源氏物語」「高校教師」「カミさんの 悪 口」「歸國」など多数の演出作品があるほか、 『向田邦子小劇場』(隣の女、眠り人形、春が来た、びっくり箱、重役読本)、『華岡青洲 の妻』『白石加代子の源氏物語』『同百物 語』『山口百恵引退公演』など舞台演出も数 多く手がける。著書に『テレビで気になる女た ち』『忘 れられた名文たち』『誰も「戦後」を覚えていない』『 ユリ・ゲラーがやってきた 40 年代の昭和』『日本語の学校』『名文探偵、向田邦子の謎を解く』など多数ある。

長男深田太郎氏が語る 「作詞家・阿久悠」 ~明治大学 阿久悠記念館案内~

1976年から79年あたりが作詞 家としては一番たくさん書いていたと思います。でも、その時期は絵を描いたり、野球チームを作ったりして結構遊んでる時期でもあるんです。1曲作るのに父が課した時間は 2時間らいなんです。1日中仕事で書斎にこもりっぱなしというタイプではありませんでした。いわゆる 「無頼」というタイプでもありませんでした。「無頼」とか「天才」という典型や定型を嫌っていました。それをぶち壊して、自分をスタンダーにしたのだと思います。父の職業を意識したのはフィンガー5です。 僕は8歳くらいなんですが、クラスの子たちがみんな歌っていて、なんだか嬉しかったですね。僕がロックバンドをやっている時、「多夢星人(たむせいじん)」 というペンネームで詞をもらったことがあります。僕が本田美奈子さんの曲を担当することになった時も、 父が詞を提供してくれました。父の詞はドラマがはっきりしていて、父の詞が導いてくれたおかげで曲はすぐにできました。私小説の世界ではなく、俯瞰的に映画のように詞の世 界を創っていたと思います。

この記念館に再現されている書斎 は伊東の自宅の書斎そのものでの姿が浮かんできます。入口に展 示されている 99 枚のレコードジャケットを見ていると、単純に「すごいな」と父の偉大さに圧倒されると 同時に一ファンとしてそれぞれの ジャケットからその時代時代の僕自身のことが思い出されます。ここでは、作詞家としての父もそうですが 作家としての部分にも触れることができ、父の死後見つかった未発表の 小説『無冠の父』の自筆原稿も展示されています。多くのみなさんにい らしていただいて、父のことをもっと知っていただきたいと願っていま す。そして、父の大全集ともいえる 『人間万葉歌』『続・人間万葉歌』の 試聴もできますから、父が作った歌 をぜひ聴いていただきたいです。

深田太郎(株式会社阿久悠   取締役) 阿久悠オフィシャルホームページあんでぱんだん  http://www.aqqq.co.jp

 

明治大学 阿久悠記念館
〔住〕千代田区神田駿河台1-1 明治大学アカデミーコモン地階 〔問〕03-3296-4329(明治大学総務課大学史資料センター) 〔開館〕10:00~17:00 〔休館〕8/10~8/16、12/25~1/7 ( 8月の土・日曜に臨時休館があります ) 〔入館料〕無料


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