「男の背中」という肖像

~写真家高橋和幸が撮ったうしろ姿の男たち~

 

写真家、高橋和幸さんのライフワークに「男の背中」というシリーズがある。
1993年から 95 年には雑誌の連載グラビアとしても好評を博し 政財界、文学界、スポーツ界、芸能界など 各界36人の男たちの〝背中〞が紹介された。
「背中でその人の人生の物語を表現できたら、そんな独りよがりな妄想からこの企画はスタートした」と高橋さんは言う。
そして、その道の成功者だからと、あえて著名人を選んだと。 人の来し方を一瞬で切り取ったそれぞれの〝背中〞から 正面からでは見ることのできない、ある意味、見る人の想像力に委ねられたもう一つの顔が立ち上がってくるかもしれない。
今回、新たに作家・村松友視さんの〝背中〞が加わった。 そして、村松さんの記憶の中でいくつもの〈男の背中〉が浮き沈みしはじめるのだった。

撮影・写真コメント=高橋和幸

丹下健三(建築家) 都庁にて 世界の丹下。 当時の鈴木俊一都知事のブレーンでありながら 都庁のコンペに参加して批判を買った。 「都庁というものは日本の顔なんですね。 誰もが手がけてみたいと思っているのです。 そこにヤッカミとか妬みみたいなのが出るでしょう」 とにべもなかった。

野村万作(狂言役者) 市ヶ谷にて 自然体の後姿を撮りたいと言ったら、突如謡い出し舞い始めた。 日本文化の笑いの原点が狂言であるにもかかわらず、 ただ単なるお笑いが受ける現在。 海外にも精力的に出て行き、西洋劇との交流も深め火花を散らす。

後藤田正晴(政治家) 国会議事堂にて 晩秋の冷たい霧雨の煙る国会議事堂をバックに立ってもらった。今太閤・ 田中角栄の懐刀として活躍。「カミソリ後藤田」と呼ばれた。この人にして 「政治の世界は五里霧中」を表現したかった。

〈男の背中〉あそび

文=村松友視

 

男から男への特権的眼差しの表現

〈男の背中〉は、男という視座から男を語るために用いられる、きわめて情緒的な言葉であるような気がする。背中を男の背面と見立てるならば、その 裏側は男の正面あるいは表面ということになる。世間にさらしている正面あるいは表面からはおよそ汲み取ることのできぬ男の本性、本音、匂い、憂い、屈折、哀愁、悦楽などが、男の背中の表情となって貼りついているものだ……という男目線の男像が、第一に 〈男の背中〉なる表現から立ちのぼるメッセージである。

そこで、〈男の背中〉に対する〈女の背中〉なる言いようが、あまり世間に流布されることがないということに、しばし目を向けてみたい。

女というのは得体の知れぬ融通無碍(ゆうずうむげ)を体内に飼い馴らす鵺(ぬえ) のごとき存在であり、その謎の皮膜をまとってゆらめく陽炎のごとき心もようを暴くことなどしょせん詮ないこと、暴いたつもりのその本性もまた謎の皮膜をまとっているのだから……こんな男尊女卑的な上から目線の眼差しが、〈女の背中〉 を切り捨てる根拠としてまずは思い浮かぶ。

……続きはVol.35をご覧ください。

村松友視(作家) 銀座サンボアにて 銀座のBARのカウンター。 独り佇む小説家は自作の構想を練っているのだろうか。 バカラのグラスを傾けながら静謐の中に身を寄せる。 大人のアロマが銀座の夜に溶け込む。 撮影協力=銀座サンボア 〔住〕中央区銀座5-4-7銀座サワモトビルB1F 〔 問〕03-5568-6155

むらまつ ともみ
作家。1940年東京生まれ。慶應義塾大学 文学部哲学科卒業。出版社勤務を経て文 筆活動に入る。82年『時代屋の女房』で第 87回直木賞、97年『鎌倉のおばさん』で第 25回泉鏡花賞受賞。『私、プロレスの味方 です』『夢の始末書』『アブサン物語』『俵 屋の不思議』『黒い花びら』『百合子さん は何色』『幸田文のマッチ箱』『淳之介流 ―やわらかい約束』『帝国ホテルの不思議』 『野良猫ケンさん』『残月あそび』『極上の流転 堀文子への旅』『金沢の不思議』『老人の極意』『北の富士流』『大人の極意』 『黄昏のダンディズム』『アリと猪木のもの がたり』など多数の著書がある

たかはし かずゆき
写真家。1951年徳島県鳴門市生まれ。父の影響で幼少の頃から一眼レフカメラを手に風景、人物などを撮る。中央大学法学部卒業後出版社の写真部を経て独立。現在、自社スタジオを構え人物、時計を中心に活動する。92年から撮り始めた「男の背中」はライフワーク。雑誌「卓球王国」を創設し、元発行人でもある。


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