昭和は遠くなりにけり

~北島寛の写真で蘇るあの頃~

 

BSのテレビ番組などで、「昭和」という時代が頻繁に特集されている。
〝スターのいた時代〞〝誰もが口ずさんだ名曲〞〝団欒の中心にテレビがあった〞…… といった切り口で、いずれも昭和の時代が〝あの頃〞という語り口で紹介されている。

いかに多くの人々が遠ざかる昭和を懐かしく想い、今、昭和の心を求めているのかが推察される。 2019年4月の天皇陛下退位に伴い、平成時代が幕を閉じる。

そして、昭和がさらに遠のいていく。

福岡在住の写真家、北島寛さんの写真に、昭和30年代前半の福岡・博多を撮影したシリーズがある。 福岡で写真展も開催され、県外からも多くの人々が訪れたという。

敬愛する小津安二郎に捧げる映画『東京画』を監督したヴィム・ヴェンダースは 「小津の作品はもっとも日本的だが、国境を越え理解される。 私は彼の映画に世界中のすべての家族を見る。 私の父を、母を、弟を、私自身を見る」と語っている。

北島さんの写真もまた、中央、地方の境界を越えて、人々の心に、あの頃を蘇らせる。

写真には人間の匂いがたちこめる町で、ひたむきに生きる人々のエネルギーが写される。

昭和31年7月、福岡市博多区中洲 の南新地の路地で「月光仮面」ごっ こ遊びの子どもたち。月光仮面に敵 対するのは、どくろ仮面。当時の子ど もたちは〝ごっこ遊び〟が大好きで、 漫画のヒーロー、映画の時代劇や西部劇が主流だった。テレビで「月光仮面」の放送が始まったのは昭和33 年で、視聴率も40%を記録した。

ひたむき、 無心の昭和

町は子どもたちの遊び場だった

~北島寛「昭和30年代のアルバム」に寄せて~

 

文=松尾孝司

 

缶蹴り、コマ回し、ケンケンパー ……女の子はままごと、ゴム跳び ……。昭和30年代、福岡市の町には子どもたちの元気な声が飛び交っていた。町は、子どもたちの遊び場だった。カチカチ、という拍子木の音は紙芝居がやってきたことを告げていた。街頭テレビの前は、見入る人だかりができていた。

北島寛のアルバムからは、遠い昭和の、セピア色の記憶が次から次に飛び出してくる。昨日のこと以上に時代の情景が鮮やかだ。かけがえのない時代の一コマ、一コマ。リヤカーに子ども を乗せて金属回収に回る母親の姿も 雪の日、子どもを連れて行商に出ている母親の姿もある。子は親たちの懸命に生きる姿を見て育った。子どもを連れて親は働いていた。人間の匂いがたちこめていた時代の風景だ。北島の写真集を見た全国の人からは「私たちの町の風景と似ている」との声も寄せられている。かつての日本人が共有した原風景に違いない。

敗戦で軍国ニッポン・天皇制の呪縛から解き放たれ、国民の価値観は白紙になった。昭和30年代は、米軍・国連軍の朝鮮動乱特需で目の前の戦争の不安を感じながら、そのニッポンに経済至上主義が頭をもたげつつあった時代。道端に落ちた金属片を拾う姿もカメラはとらえている。戦争特需で金属が高値で買い取ってもらえた時代を切り取った一コマなのだ。マッカーサー元帥という連合軍最高指揮官下の時代だった。

……続きはVol.37をご覧ください。

昭和30年、福岡市博多区上川端町の博多総 鎮守・櫛田神社の楼門前でメンコ遊びに興じる 子どもたち。昭和時代、寺や神社の境内は子ど もたちには格好の遊び場だった。夏休みのラジ オ体操も境内で行われていた。櫛田神社は博多祗園山笠が奉納される神社で、博多っ子から は「お櫛田さん」の愛称で親しまれている。

昭和30年、福岡市南区若久で、紙芝居を食い入るよ うに見つめる子どもたち。太鼓や拍子木の音が聞こえると、子どもたちは一斉に集まってきた。男の子向けに は活劇もの、時代劇など。女の子向けでは悲劇ものや 継子いじめが人気だった。戦後に復活した街頭紙芝居だが、お株をテレビに奪われ急速に衰退していった。

北島寛  きたじま かん
1926年(昭和元年)、中国天津市旧日本租界生まれ。海軍甲種飛行予科練習生から茨 城県神ノ池海軍神雷部隊特攻基地に配属され、45年に復員。日本大学専門部商科に学び、53年米軍納品会社に入社、福岡支店設立のため55年に福岡に移り住む。61年まで アマチュア写真家として、カメラ雑誌のコンテストなどで多数入賞。57,59,61年度国際写真サロン入賞。57年にNHKテレビ写真コンテスト年度賞。その後プロに転向し、北島コマーシャルスタジオ設立。62年社団法人日本広告写真家協会(APA)九州支部入会。 現在、特別会友。写真集に『想い出の博多 昭和30年代写真帖』『昭和30年代の福岡』(共著)、『日々常々』『街角の記憶 昭和30 年代の福岡・博多』などがある。現在92歳。

松尾孝司
1946年(昭和21年)、福岡市博多 区生まれ。博多の暮らしや祭りなどを伝える、博多を語る会会員。九州大学を卒業後、西日本新聞社に入社。新聞三社(北海道・中日・西日本)連合編集部長、西日本新聞文化部長、田川市美術館長など歴任。著書に『絵筆とリラと 織田廣喜聞き書き』『技ありき夢ありき 福岡の工芸 家74人』。


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