横丁の魅力

 

~大人の情がわかる場所~

 

横丁がなつかしい。 行けばいつもの顔ぶれに安堵し、なけなしの金をはたいてコップ酒の旨さをしみじみ味わった。
目配せで、暗に出世払いを認めてくれた女将さん。 狭いカウンターの奥の同じ席に毎日座っていた寡黙な老人。
身なり風体はいろいろだが、酒の呑み方だけは黙っていても教えられた。
今宵も、人情が通っていた昭和の時代の出会いの場をさがしに、街に出よう。

同じ「のんべい横丁」、渋谷と釜石をつなぐ絆

 

横丁は、路地よりも細く、自動車 が入ってこないことが条件。そうで あれば酔った千鳥足も心配なく、か くして「飲ん兵衛横丁」が生まれる。 高級な店は似合わない。軒を連ねる 赤提灯がお似合いだ。

渋谷を通過する山手線の窓から線 路沿いに見える、その名も「のんべい横丁」は長い棟割り長屋二棟のす べてが酒場。夕闇の線路際に紅白提 灯が緑の柳をぽおっと照らす光景は 理想の酒場横丁だ。戦後の渋谷は 恋文横丁や第一栄楽街など横丁の 町だったそうで、東大駒場や慶応 の学生、サラリーマン、医者、先生、つまりカタギ客が多く、無頼派文化人の横丁「新宿ゴールデン 街」とちがうのは、井の頭線や東横 線の土地柄によるのだろう。

のんべい横丁は戦後昭和二十六年 に渋谷の屋台が組合を作って開いた。焼鳥好きに実力を知られる「鳥福」はそのとき参加した最古参。額 の先代主人の写真は東急文化寄席の 帰りに寄った講談師匠・一龍斎貞丈 が撮ったもの。書額〈花意竹情   為 鳥福   村山茂兄   鳩山威一郎〉は謹 厳に花押も入る。

組合長を務める二代目・村山佐喜 男さんは、東日本大震災で釜石名物 の「呑ん兵衛横丁」がすべて流され たというニュースに同じ名前の横丁 として援助をしたいと釜石市を訪 ね、帰京後、横丁全店に声をかけて 義援箱を設置。集まった客の浄財を、 振込先がないので持参。市職員立ち 会いで渡し、その後、第二次も持参 した。翌年一月の釜石呑ん兵衛横丁 再開には渋谷のんべい横丁の名で全 店にご祝儀の花を贈り、花も地元の 花屋に依頼。さらに村山さんは本業の仕入れ先を通して「生卵を最低で も五〇〇個送りたい」と調達したの はプロの発想だ。横丁同士は仲良くなり、今は「渋谷が困ったときは助 けて」と笑い合うという。

横丁の人情ここにあり。飲ん兵衛 が横丁に来るのは酒のためだけでは ない、人の情にふれたいからだ。子 供の町となってしまった渋谷にのん べい横丁が健在なのは、大人の情が わかる場所だからだ。

 

 

昭和がそのまま残る「初音小路」の風景

 

横丁好きの私が日暮里「初音小路」 を見つけた時は嬉しかった。今日は じっくり探索してみよう。

日暮里駅西口から下御隠殿橋を 渡って御殿坂を上り、右手に本行寺 を見る通りは古い東京の風情がい い。維新上野戦争の痕跡が残る経王 寺の前を朝倉彫塑館に向かう脇道の すぐ左が「初音小路」。勘亭流文字 のゲート左隣の小さな「一力」は〈本 日のメニュー   ラーメンギョーザ〉 の札がでる二品のみだが、貼られた 雑誌記事は〈開店四〇年の、散策の 疲れを癒す名店〉とある。右隣の象牙美術「若菜」は酒&コーヒーの明 るい店。向かいの小ぎれいな「フー ズ  アサヒヤ」は鶏そぼろ丼、メンチカツ丼、穴子丼など〈本日の丼〉がそろい、どこも下町の気さくがいい。

初音小路は幅二メートルほどに、 同じ間口の二階家が向かい合い、懐かしい木組みのままの半透明屋根が 下を明るくする。すぐ左の都せんべ いはガラス鉢が並び、〈自分で焼くせんべい〉が人気だ。

以下両側に、居酒屋よしもと、季節料理たむら、小料理京子、小料理 はな、季節料理鈴木、カラオケ居酒 屋桃、ワインバー C'EST QUI? (セッ キー?)は関さんか。開店準備中の アサネ酒場はカウンター七席のみで 常連用に、新規来店は二名までとか。 やきとり鳥真はすでにおなじみさん らしきが席を埋めている。

〈初めての方、女性の方お気軽にどうぞ!〉と笑顔の人形を置く居酒屋みち、などどの店も玄関は趣向を凝らし、小路も店内を延長して使い、 沖縄家庭料理あさとは外の机にシー サーや花を飾る。袋小路は全体が一 つの家で、それぞれの店は各部屋と いった雰囲気。ファンが多いという 道にすわる猫二匹に、今日も女性二 人がしゃがんで撫でる脇を氷配達が アラヨっと運んでゆく。

どんづまりは袋小路と思いきや、 ほんの六十センチ幅の抜け道が家の 裏や塀の間を折れ曲がって続き、だ いぶ奥まで進んで抜け切ると、御殿 坂上の広い通りの「谷中せんべい」 脇だった。なるほどこうなっていた か。途中に隠れるように小さなホテ ル「愛」。隣は布草履や籐籠の和雑 貨。その隣のアンティーク雑貨「 neuf (ヌフ)」は西洋小物、人形、模型、カッ プ、灰皿、ブリキ缶など女主人が手 塩にかけて集めたものらしく、すら すらと説明してくれる。水色ホー ローの蓋付き缶は砂糖入れで、欲し くなり値段をきくと「これは案外高 いの、何千円もするわよ」とはっき り言わないのは、売りたくないよう だ。

向かいにカーブする立派な煉瓦塀は、終戦後に総理大臣を務めた片山 哲の屋敷という。学校帰りの近所の 小学生が「ただいまー」と声をかけてゆく店を大いに気に入ったが、そろそろ予約した時間だ。

 

これだから横丁通いは止められない

 

初音小路の一番奥。入口まわりに 打ち水、瓢箪型の提灯、手桶に野花、 左に朝顔鉢、白暖簾が清々しい「江戸料理 谷中の雀」は一度入りたいと思っていた。暖簾をくぐるとすぐ 三畳ほどの上がり小間に大机一つは 六人入ればいっぱい。奥の台所から 白衣主人が顔を出した。

「太田さん、あんときゃすみませんでした」
「ん?」

なんでも一年ほど前、私がテレビ 番組で小路を着流しで歩く撮影をしていると、ここの二階から「なにやっ てんのー」と声をかけたという。「すいませんタメ口きいて」と頭をかく がこちらは憶えていない。そんなこと黙っていればいいのに一年もたって口に出すのは下町っ子だ。

初音小路は終戦後の闇市露店が集まって、はじめは食品や衣料など生 活物資だったが今は飲食店ばかりになったという。

ここは元「小料理加代」で、縁あって今の主人が建物を継ぐことになり、高齢で施設に入られた加代さんは店に帰りたいといつも言っていたので二階の袖看板はそのまま残した。その後亡くなられたが、看板を「だからと言ってはずすのも」と今 も残しているのはうるわしい。谷中 に合わせて店は江戸好みにすると決め、池波正太郎『鬼平犯科帳』に登 場する料理屋「五鉄」の軍鶏鍋をメインにした。

小さな部屋は細桟の障子や古い茶 箪笥が江戸の粋。ざるに盛られた盃 は、舞扇や宝舟、秋の花などの派手 な九谷や渋い藍染めなど。その一つ、 額にりりしい白鉢巻の忠臣蔵討ちり姿の「武林唯七」は、金地の歌舞伎好みが華麗でコレクターの私はため息が出る。

「みんな一〇〇円、二〇〇円のばっかですよ」

自慢しないのがさらに下町っ子。 壁に貼ったコピーは池波が『真田太 平記』執筆にあたり、信州上田を訪ねたときの一節だ。

「池波がお好きなんですね」
「いや、私の出身が上田なもんで」
「え! オレ隣の松本」
「え!  じゃ高校は深志?」
「そう」

主人の奥様の母の姉は松本深志高校の前身・旧制松本中学の校長の奥様だったそうで縁を感じる。笑い合 い同じ歳と知ってさらに意気投合。 「今日は食べてもらいますよ」と用意した軍鶏鍋がうまかったのは言うまでもない。通い続ける横丁がまたひとつ増えた。

おおた かずひこ

 グラフィックデザイナー・作家。 『太田和彦の東京散歩、そして 居酒屋』(河出書房新社)他。


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