樫尾俊雄発明記念館  1

小田急線喜多見駅と成城学園前駅をトライアングルで結ぶ真ん中。静かな住宅街と国分寺崖線の緑のあふれる自然豊かな地に、日本の産業史をいまに伝える旧邸がある。

「発明は必要の母」と言い続けた男

 

カシオ計算機の創業と発展を支えた樫尾俊雄の自宅の一部が、「樫尾俊雄発明記念館」として2013年に公開された。幼いころからエジソンに憧れた樫尾俊雄は、「必要は発明の母ではなく、発明は必要の母」という信念を貫いた。生涯で取得した特許は、共同名義を含めて確立したものだけで313件にのぼる。

意外なことに、俊雄の初めての発明は、指輪パイプという斬新かつ実用的な商品であった。

逓信省(現在のNTT)の技師だった俊雄は、戦後まもなく、長兄の忠雄(1917〜93)が営む樫尾製作所で、精密機械加工の仕事を手伝い始める。工賃の安い下請けの仕事から脱しようと、俊雄は、考えを巡らせるうちに、指輪と煙草を差し込むためのパイプを溶接でつなげるというアイデア商品を思いつく。これがあれば、誰もが仕事の手を休めず、左手を口元に近づけるだけで煙草を根元まで吸うことができる――そう考えた。

俊雄のアイデアは、腕のいい旋盤工である忠雄の手によって商品化され、最初のひらめきどおり、飛ぶように売れた。父、茂が売りに出かけ、指輪パイプは作るそばから売れる爆発的なヒット商品となった。

俊雄のアイデアと兄弟の団結は、指輪パイプで蓄えた資金を元手に、世界初の小型純電気式計算機の開発に向かうことになる。俊雄は、日本ではまだ手回し式の計算機しか製造されていなかった時代に、電磁石を利用するリレー回路の小型純電気式計算機「14-A」を発明。のちに電卓はカシオの代名詞となり、世界のC A S I Oへと羽ばたいてゆく基礎となったのである。

生涯通じて世界にないものを創造することに挑戦した樫尾俊雄(1925~2012)

両切りたばこの時代、火が指に届かないよう精巧に工夫され、「いいものを作れば売れる」と初めて意識した

興味の尽きない発明家の「創造の部屋」

 

樫尾俊雄は、「0から1を生み出す」という哲学を掲げ、80歳を超えても、新たな発明に常に取り組んでいた。

内装や建材など、細部にわたって妥協のない注文を建築家につけたという邸宅の内部は、趣きの深い洋館風の造りで、晴れた日にはダイニングから富士山が望める。成城の高台に構えたこの自宅の書斎にこもり、四季折々の自然を眺めながら、紙と鉛筆だけを傍らに置いて、徹夜もいとわず、黙々と考え続けた。その書斎が「創造の部屋」として当時のままを保って公開され、執務机や愛用品、さらに指輪パイプのレプリカまでが飾られている。

かつてダイニングだった「数の部屋」にはいくつもの電子式卓上計算機が、寝室だった「時の部屋」には多くのデジタル腕時計が、進化と発展の足跡を表して展示されている。

記念館理事長の樫尾隆司氏は、「父は常に社会への貢献を考えていましたから、ここはカシオ計算機の歴史だけではなく、電子立国を創り上げた日本の財産として遺し、未来の日本に貢献する場としたい」と穏やかに語る。

「創造の部屋」の窓の外の緑豊かな遊水池に、色鮮やかな野鳥が飛来し、いつまでも水と戯れていた。

樫尾俊雄が目を細めて眺めていた光景は、時を超えてそこにあった。時は歴史を刻み、歴史は自然の中で育まれている。

取材・文/樽谷哲也 写真/岡倉禎志、カシオ計算機

 

高い空を飛ぶ鳥が好きだった俊雄は、ステンドグラスで家族をイメージした。玄関の白頭鷲は自身を表した

樫尾俊雄発明記念館

〔住所〕   東京都世田谷区成城4-19-10
〔開館時間〕 9:30~16:30
〔休館日〕  土日祝日・年末年始等
〔入館料〕   無料
〔見学申込〕  完全予約制
[お申し込み]Webサイトから http://kashiotoshio.org/

 


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