一陣の清風に勝るものなし
蘇った、密かに私淑 していた先輩の存在
遠方からの患者さんである。それもご本人は入院中とのことで、代わりにお父上がやって来たのである。 先生のお名前は以前から知っていたという。かつて懇意にしていたT病院のA先生の口の端に二度三度上っていたのを思い出して、このたびの来院になったという。回数は少なくとも、そのときのA先生のこまやかな心づかいが鮮やかに思い出されて背中を押してくれたのだそうだ。
えっ!
T病院のA先生?
意外だった。A先生がそんなふうに私を見ていてくれたとは。もともとそれほど親しくしていたわけではない。A先生は同じ大学の先輩であるが、彼は第二外科、私は第三外科と長として転出。今度は手術の名手として勇名を轟かせていく。彼の手術 を見学しようとやってくる医師が引きも切らないという。反対に私はといえば、西洋医学の限界を感じて、 中西医結合のがん治療を旗印にした病院を開設。その後はホリスティック医学へと歩みを進める。
医学界の正統と異端、 再会の一瞬に吹いた風
そんなことで、A先生は医学界の 正統を極めていき、私は医学界の中枢からはやや異端視される世界へと向かい、二人は袂を分かっていくことになる。私はといえば手術と縁が切れた分、講演の機会が日増しに増えていくことになる。
そして何年か前の都心の講演会場。聴衆の中になんとA先生の姿が 見えるではないか。正統派の先生がどうして此処に?
わけもなくあわてたものである。隣に奥様らしき人。 終って、なんとなく憚れたので、そのまま控室に向かう。
するとA先生が早足で追いついて 来たのである。
「帯津先生!
お久しぶりです。いやぁ、あなたは立派です。感服いたしました。これからもますますのご精進を!」
一陣の清風に包まれる。
にもかかわらず、それから一度もお会いしてないうちにA先生の訃報に接する。後悔先に立たずとはこのことだ。そしてこの度のご友人の話。 あの講演会場での短い遣り取りがわが人生の宝物のように思えて来た。 冥途の土産がまた一つ増えた。
(コモレバVo.43 2020年4月1日号)