四大監督のオーディション

空の彼方へ飛んでいった 主演話

新人俳優が大役を掴むためには、 オーディションの関門を突破しなければならない。大監督に認められてこそ、道が開ける。

私の若い頃には、四大監督が名を連ねる〈四騎の会〉というサロンがあった。小林正樹、木下惠介、黒澤明、市川崑。聞いただけで目がくらみそうな豪華メンバーだ。

実を言うと私は、この四人すべてのオーディションを受けた珍しい生き残りである。

最初は二一歳。小林監督の超大作『怪談』でテスト出演した。平家の公達・平教経役で、壇の浦合戦で源 義経とわたりあった。小さな役だったが、監督は大満足だった。次回作で主役に抜擢するつもりだと言われた。

しかし、『怪談』の興行は、予想外の惨敗を喫した。製作した独立プロ〈にんじんクラブ〉も倒産した。小林監督には、つらい月日が待ち受けていた。もちろん、私の主演話などは、空の彼方へ飛んでいってしまった。

二〇代半ばの頃、木下惠介監督が会いたいと言ってきた。瀬戸内海の小島の小学校が舞台で、若い教師と子どもたちの物語だという。

待ち合わせは、俳優座近くの高級中華料理店だった。椅子に坐るなり監督が頭をさすりながら言った。
「やあ、来てくれたのに済まないね え。もっと田舎っぽいイメージなんだよ」

そんなこと言われたって……。中 華料理は喰いたかったが、一礼して退出した。

 

最初のオーディションから 一〇年目の主役

 

黒澤明監督が、真珠湾攻撃をテーマに、日米合作映画『トラ・トラ・ トラ!』を撮ることになった。日本の物語は黒澤監督、米側は米国人監督が担当する。

私は劇団から黒澤監督に会うように言われ、スタッフ事務所のあるホテルへ向かった。オッカない人だという噂があったので、ビクビクしな がらドアを開けた。予想は外れた。 背はやたら高いが、ニコニコした気さくな人だった。私の役は、ハワイで諜報活動をする日系二世のスパイだと説明してくれた。このエピソードは自分で撮ると断言した。私が数前、ハワイ大学に留学していたことも知っていた。ちょっとだけ話しあうと、監督はポンと私の肩をたたいた。あっさりと合格だった。

ところがその後、日米間でもめごとが起き、怒った黒澤監督が降板してしまった。
 
私はどうなる?

日本側のプロデューサーは私に旅費を渡し、向こうへ行って聞いてきてくれと言う。 仕方がないからハワイへ飛んで、米側プロデューサーに会った。すると、 そのシーンはすでに撮影済みだと言われた。
 
こうして、三大監督とは縁がな かった。
 
四番目の市川崑監督に、「木枯し紋次郎」でやっと主役をもらえた。 三一歳。最初のオーディションから 一〇年経っていた。

なかむら あつお

元参議院議員、俳優、作 家、脚本家。1940年東京 生まれ。東京外国語大学 在学中に演劇に興味を持 ち、大学を中退、劇団俳優 座に入る。65年にはEWC 奨学生演劇部門試験に合 格、ハワイ大学に留学し、アメリカ社会の研究を する機会を得る。72年に出演したテレビドラマ「木 枯し紋次郎」が空前のブームになりその後数多く のドラマで主演を務める。84年にはテレビ「地球 発22時」でキャスターを務める。現在、日本ペンク ラブ理事、環境委員を務める。著作に『チェンマイ の首』『ジャカルタの目』『マニラの鼻』『ごみを喰 う男』『暴風地帯』『簡素なる国』など。


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