赤に始まる

初夏の緑に交じる 季節外れの紅葉

 

まだ夏が、あれほどまでに暑くなるとは知らなかった初夏の頃、心地よい風に吹かれ、根津美術館の庭園に燕子花を見に行った。館内は尾形光琳の「燕子花図屏風」が展示され、実物と絵を見比べる――比べられるものではなかった。どちらもそれぞれに完璧な美であったから―― もとい、実物と絵それぞれを味わい楽しむ、心豊かな時間を過ごした。

実物の燕子花のまわりは新緑が 目にあざやかで、それは森の中に湧き出した紫の泉と見まがうほどに 見事であったが、初夏の緑の中に赤色も交じっていたのは意外 なことだった。葉をすべて赤く染めた木が、ちょうど泉に差し掛かるように枝葉を張り出していたのである。意外ではあったものの、緑と紫とのコントラストがおもしろく、思わず携帯で写真を一枚。それにしても、ずいぶんと気のはやい紅葉である。

その後、またこの季節外れの紅葉に出合う機会があった。それは楓で、気がはやいと同じ感想を持ったところ、楓の若葉は赤いのだと、そこで教わった。ほかにもそんな木があると。そうだったのか。そしてそのとき、積年の疑問が解けた思いがした。

赤は終わりの色ではなく はじめの色

 

あくまで私見にすぎないが、還暦の人が赤いちゃんちゃんこを着る理由である。六十を還暦というのは、 十干十二支が初めて合うから。六十は十と十二の最小公倍数で、ひと還(めぐり)して振り出しに、一に戻ったと考える。北斎はふたたび一歳に為ったと、雅号を「為一」に改名したという。

これまで一歳に、赤ちゃんに戻るから赤いちゃんちゃんこなのだろうかとこじつけて、どうもしっくり来 なかったのだが、色はどうやら赤から始まるらしい。それから、いろいろな色に染まり、染められ、ふたたび赤になるのではあるまいか。

季節はめぐり、終わることがない かに思えた猛暑も過ぎて秋、木々が紅葉を始める。紅葉は、実は青い葉がもう養分を吸う力がなくなって朽ちて行く様で、美しさは最後の輝きと思っていたのだが、これは最初に 戻るということなのかもしれない。 赤は終わりの色ではなく、はじめの色。はじめに戻って、そこからまた 始まる。

こんなことを書くと、もう還暦なのかと思われそうだが、まだ先のことである。といってもこう月日が過 ぎるのが速いと、すぐだろうか。先日は、少し年上の知人が還暦と知って驚いたが、自分の歳を考えれば、まったくもってあり得ることだ。

それでも驚くのは、知人の若さである。還暦なんて信じられなかったが、還暦はまだまだ若いと認識をあらためた。こうしてみると、若いうちにもう一度始められるのは、嬉しくまた希望のあることである。

ありよし たまお

作家。東京生まれ。早稲田大学哲学科、東京大学美学藝術学科卒業。ニューヨーク大学大学院演劇学 科修了。1990年、母・佐和子との日々を綴った『身がわり』で坪田譲治文学賞受賞。『ニューヨーク空間』『雛を包む』『車掌さんの恋』『風の牧場』『恋す るフェルメール 37作品への旅』『カムフラージュ』 『美しき一日の終わり』『ソボちゃん いちばん好きな人のこと』など多数の著書がある。


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