art関根正二展

夭折の天才画家・関根正二の真実

~小説家・今東光が語ってくれたこと~

 

文=太田治子

 

日曜美術館で涙した若き画家の生涯

 

  もうすぐ神奈川県立近代美術館鎌倉別館で、「生誕120年・没後100年 関根正二展」が始まる。楽しみでならない。私は、関根正二の絵が大好きである。

  今から40年以上も昔のある日、20代半ばの私は一人、美術館の一枚の絵の前に立っていた。赤いリンゴのほっぺたをした赤い着物の少年の肖像画だった。絵の中の赤は、ばら色に輝いてみえた。きっとこの絵を描いた画家は、幸せなお坊ちゃまに違いないと思った。それが関根正二の絵との初めての出合いだった。まもなくNHKの教育テレビ「日曜美術館」の司会アシスタントに選ばれた私は、番組のスタジオで思いがけない関根正二の真実を知ることとなった。ゲストは、小説家の今東光さんだった。満20歳と2ケ月で夭折した関根正二と今さんは、10代後半の少年時代の親しい画家仲間だったのである。今さんの語る親友の思い出は、私が絵から想像していた幸福な画家像とはあまりにも違うものだった。

  福島県の農家に次男として生まれた彼は、9歳の時に家族と上京、東京の深川に住むことになる。父は屋根瓦の職人、兄は石工であった。夜間専修学校を卒業後は、印刷会社の給仕などをして働きながら次第に画家になることを志すようになった。一時、洋画の研究所に入るものの、殆ど独学で油絵を勉強した。その才能は、今さんを唸らせるものだった。しかし今さんと違って、正二はあまりにも貧乏だった。絵具も満足に買えなかった。私が美術館でみた「子供」の絵の赤は、いつもは使うことのできない絵具が偶然手に入り、嬉しくてたっぷりと使ったものだという。スタジオで、私は思わず涙ぐんでしまった。
 

最愛の女性を輝くように描いた幸福感を想う

 

  お金持の坊ちゃんがパリに留学して、下宿先の男の子をモデルに描いた絵だとばかり思っていたのである。しかしどんなに貧乏をしていても、正二はこの絵を描いたときは幸福だったのだ。絵具を思いきり使って大好きな絵を描くことができたのだからと考えた。

  この絵と同じ最晩年の大正8年に描かれた《三星》(みつぼし)にも、赤が鮮やかに使われている。絵には、3人の人物が描かれていた。中央の赤いマフラーを巻いた少年は、画家自身ではないかと考えられた。その両脇に立つ若い女性には、彼がマドンナとしてあこがれていた田口真咲さんの面影があるという。今さんは、やはり画家仲間の真咲さんをよく知っていた。はかなげな女性だったという。

  関根正二は、彼女に失恋した。180センチ近い大男だった彼が、最後にスペイン風邪にかかり早世したのは、その失恋も原因していたのかもしれない。彼女も、3年後に病死した。しかし絵の中の正二と真咲さんは、あくまで堂々としてお星さまのように輝いてみえる。《自画像》の彼が、実にたのもしくみえるように。関根正二は、最愛の真咲さんとともにお星さまになることを夢見ていたのだろうか。

《三星》 1919 年 油彩、カンヴァス  東京国立近代美術館蔵

《自画像》 1916 年頃 インク、紙  福島県立美術館蔵

〔展覧会〕生誕120 年・没後100 年 関根正二展

 

〔会期〕2020年2月1日(土)~ 3月22日(日)(会期中、一部作品の展示替あり)
〔開館時間〕9:30 ~ 17:00(入館は16:30まで)
〔休館日〕月曜(ただし2月24日は開館)
〔観覧料〕一般 700円、20歳未満・学生550円、65歳以上350円、高校生100円

神奈川県立近代美術館 鎌倉別館
〔住〕鎌倉市雪ノ下2-8-1 〔問〕0467-22-5000

おおた はるこ

神奈川県小田原市生まれ。明治学院大学文学部卒業。76~ 79 年NHK「日曜美術館」の初代司会アシスタントを務める。86年『心映えの記』で第一回坪田譲治文学賞を受賞。朝日カルチャーセンター(新宿・横浜)、NHK文化センター(八王子、町田、横浜ランドマーク)よみうりカルチャー横浜でエッセイ・美術鑑賞の講座を持つ。
著書に『夢さめみれば―日本近代洋画の父・浅井忠』(朝日新聞出版)、最新刊は『星はらはらと 二葉亭四迷の明治』(中日新聞社)他多数。最新刊『湘南幻
想美術館~湘南の名画から紡ぐストーリー』(かまくら春秋社)が話題になっている。


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