記念館には、樫尾俊雄の発明した電子楽器の第一号が陳列されている「音の部屋」という一室がある。鍵盤を押すと、フルートやバイオリンなど様々な楽器の音が発せられるものだった。空想と遊び心が探究心と結びついた偉大なる産物である。


誰もが楽器を楽しめたら……
デジタル技術によって電卓を製品化させ、さらにその技術を応用してデジタル時計を開発した樫尾俊雄(1925‐2012)は、兄弟と協力し、爆発的なヒット商品を次々に生み続けた。一貫してカシオ計算機の開発部門を率いて、50代になっても未知なる世界へ挑んだ。それが電子楽器の発明への取り組みである。
若いころからクラシック音楽に親しんだが、ただ聴いているだけではなかった。少年時代に吹いていたハーモニカに始まり、アコーディオンやギター、バイオリン、マンドリン、そして尺八と、多くの楽器を買っては演奏を試みたものの、いつまでたっても腕前は素人の域を出なかった。
そのうちに、誰もが簡単に一つの楽器で変幻自在に音色を奏でることはできないものかと、常識の枠を超える途方もない空想を巡らせていった。
時間をかけて練習しなくても、キーを1つ押せば簡単に美しいバイオリンの音が出せるような使いやすい楽器であるなら、世界中の人が喜んで手にするのではないだろうか――。
一途な探求心と、大いなる遊び心。樫尾俊雄の発想は、いつも自由に羽ばたいた。
それはまた、既存の電子オルガンに代表されるように、特有の電子音しか出ない製品を超越した先例なき電子楽器を発明するという、極めて困難な研究を進めることを意味した。
「 音とは何か。音楽とは何なのか。人間にとって、どういう必要があるんだろうか……」
俊雄は、自らにそう問い続け、電子楽器に関する数多くの特許を取得しながら、試作を繰り返していった。
「0から1を生み出す」DNA
そして、1980(昭和55)年、満を持して電子キーボード1号機「カシオトーン201」を発売する。俊雄の「すべての人に、音楽を奏でる喜びを提供したい」という願いが実現したのである。
カシオトーンは、進化を遂げながらモデルチェンジを重ねる一方、電子ピアノやシンセサイザー、デジタルギターなど、新たな電子楽器が誕生することにも発展していった。発売35周年を迎えた2015年には、カシオの電子楽器の世界中での累計販売台数は8300万台に達している。
東京・成城にある俊雄の旧宅の一部を2013年に一般公開してオープンした樫尾俊雄発明記念館に、その名も「音の部屋」という一室があり、電子キーボードや電子管楽器などの歴代モデルが展示されている。そのさまは、研究開発の苦労の歴史というより、音楽を楽しみながら発明に勤しんだ足跡であるかのように映る。また、寝食を忘れて仕事に没頭した書斎「創造の部屋」では、発明に注ぐ情熱について生前の俊雄が語ったインタビュー映像も視聴することができる。
カシオ計算機からは、以後もデジタルカメラや電子辞書など、どこにもなかったものを新しく創造し、人々を驚かせ、そして楽しませる新製品が続々と生まれていった。
「0から1を生み出す」樫尾俊雄の発明哲学と確かな技術、そして遊び心が、脈々と受け継がれている。
取材・文 樽谷哲也/写真・岡倉禎志

樫尾俊雄発明記念館
〔住所〕東京都世田谷区成城4-19-10
〔開館時間〕9:30~16:30
〔休館日〕土日祝日・年末年始
〔入館料〕 無料
〔見学申込〕完全予約制
[お申し込み]Webサイトから http://kashiotoshio.org/