樫尾俊雄発明記念館 2

今日のカシオ計算機株式会社は、社名の「計算機」を外しても不思議ではないほど製品は多岐にわたる。時計、楽器、カメラ等々「CASIO製」は世界を席捲しているのだ。しかし、樫尾俊雄発明記念館を訪ねれば、計算機こそ同社の根幹であることがよく分かる。

樫尾4兄弟は、それぞれの役割を分担し支えあってきた。左から四男・樫尾幸雄(生産担当)、三男・和雄(営業担当)、長男・忠雄(財務担当)、次男・俊雄(開発担当)

 

算盤は神経、計算機は技術なり

敗戦の翌年1946(昭和21)年の11月、東京・日比谷で、アメリカの電気式計算機と、指先でパチパチと木珠を弾くだけの日本の算盤と、加減乗除の計算をどちらが速く正確に行えるかという「新しきもの対旧きもの」と銘打った日米対抗計算試合が開催された。総じて算盤のほうが速く、計算も正確で、「旧きもの」の勝利に終わった。翌日の新聞は《日本の驚異》と華々しく報じたが、「算盤は神経。されど計算機は技術なり」と冷静に考え、ノートに書き記した男がいた。のちにカシオ計算機の創業者の一人となる樫尾俊雄(1925‐2012)である。

人間の神経には限界がある。しかし、技術はこれから無限に広がってゆくことだろう。技術の計算機が神経の算盤を追い抜くのは時間の問題だ――。

そう考えた俊雄は、世界初となる小型の電気式計算機の開発に取り組んでいった。当時の主流だった欧米製の電動計算機は、モーターで歯車を駆動させるため、大きな騒音を発生し、計算にも時間を要した。日本では、手回し式の計算機しか製造されていなかった。

また、1桁ごとに0から9まで10個のボタンが並ぶフルキー方式で、14桁の計算機であれば140個以上のボタンが並んでいた。誰もが常識だと信じていたこのフルキー方式を、俊雄は「まるでボタンのおばけだ」と思っていた。1、10、100、1000……それぞれの桁の数字を同じボタンで入力できれば、何桁の計算機でも数列は10個で済むことになる。計算機はもちろん、固定や携帯の電話機、パソコンなど、あらゆる機器の数字ボタンは10個のみで構成されるテンキー方式の実現に、俊雄はこのときから着想していた。

発明の根底は社会に貢献するか否か

そして、試作品を作り続け、成功と失敗を繰り返しながら、1957年12月、14桁までの計算が可能であることから「14‐A」と名づけた電気式計算機が満を持して発売されるのである。

当時の大型計算機が1万個以上のリレー素子を使っていたのに対して、わずか341個のリレーで構成される、小型机の大きさの計算機であった。この仕様から、世界初の小型純電気式計算機と呼ばれる。

「14‐A」は、東京・成城に建つ俊雄の自宅の一部を公開して2013年にオープンした樫尾俊雄発明記念館に展示されており、いまも実際に稼働する。

0から9まで並んだ数字、そして+-×÷といった記号、最後に=のボタンを打ち込むと、カシャカシャと軽快な音を立てて計算が始まり、すぐに加減乗除の結果がデジタル表示される。タイムトリップしたように、時空を超えて、樫尾四兄弟の苦労とその果ての喜びが伝わってくる。

カシオは、樫尾俊雄を中心に、兄弟と社員たちの創意工夫によって、小型化、省電力化、さらに多機能化と、時代に応えて計算機を進化させていった。やがて、人々の生活に役立ち、社会に貢献するという企業哲学として根づき、計算機にとどまらない発展を遂げてゆくのである。

取材・文/樽谷哲也 写真/岡倉禎志

「14-A]の価格は、48万5,000円(昭和32年当時)だった。当時の大卒の初任給は1万円以下であった。金融機関や研究開発機関などを中心に普及し、最盛期には月200~300台以上を売り上げたという

 

自宅から遠く富士山を望みながら、樫尾俊雄はしばしば沈思黙考することがあったという。脳裏には開発のテーマが浮かんでいたことだろう

 

樫尾俊雄発明記念館

〔住所〕東京都世田谷区成城4-19-10
〔開館時間〕9:30~16:30
〔休館日〕土日祝日・年末年始
〔入館料〕 無料
〔見学申込〕完全予約制
[お申し込み]Webサイトから http://kashiotoshio.org/

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