new 20.11.09 update

お客様の前でデビュー曲を早く歌いたいです

新型コロナウイルス蔓延問題は、芸術や文化にも大きな影を落としている。2月26日に安倍前首相からイベントなどに関する自粛の要請があり、さらに4月8日に緊急事態宣言が発出され劇場、映画館、コンサートホール、ライブハウス、美術館、寄席、そして劇団やさまざまなアーティストたちは活動休止を余儀なくされた。街から劇場や映画館が消えるのではないかと危惧する声も聞こえてくる。その後、5月25日に緊急事態宣言が解除され、入場制限や座席間隔の留意を前提に劇場や映画館の再開が可能になったが、感染症対策により、いずれの催物も観客数は満席時の半数程度という制限つきであった。屋内外問わず人数上限は5000人だったが、11月末までの催物制限に関して目安のあり方が見直され9月19日から緩和された。大声での歓声、声援がないことを前提としうる場合、収容率の上限が100パーセントに緩和されることになった。クラシックコンサートや古典芸能、演劇、講演会、式典、展示会などがこれに該当する。大声での歓声が想定されるが、野球やサッカーなどのスポーツイベントは、収容人数1万人超は収容人数の50パーセント、1万人以下は5000人を上限とされている。テレビの歌謡番組などの公開収録でも10月に入りやっと観客を入れてはいるが、たとえば2階席以上だけの集客でしっかりとディスタンスがとられた状態で、まだまだ通常の収録には程遠い。もちろん歌手への掛け声は禁止である。芸術、文化発信の最前線にいる人々が、どのように難局に向き合い、今後のありようを模索し、苦境を脱しようとしているのか、現場の声に耳を傾けてみる。

Vol.7

黒木ナルトさん(演歌歌手)

インタビュー:2020年10月27日

1998年10月8日、ブラジル サンパウロ州生まれの黒木ナルトさん。取材場所の下北沢の喫茶店「おーるど」の前でポーズをとるナルトさんからは、ブラジル生まれのラテン系らしい明るさが伝わってくる。「演歌の星」を目指して、持ち前のポジティブシンキングで活躍中。インタビューにも慎重に言葉を選びながら、真摯に向き合い答えてくれる。

演歌歌手・黒木ナルトさんは日系3世ブラジル人で、ブラジルサンパウロで生まれ育った。ブラジルではカラオケ大会で優勝を重ね、獲得したメダルやトロフィは180個以上だという。小さい頃から祖母に日本の歌を教わり、3歳で初めてカラオケのステージに立った。曲は童謡「犬のおまわりさん」だった。カラオケ大会で他の人が歌う歌謡曲に興味を持ち始め、西城秀樹のポップス系の曲も好きだったが、特に演歌を好きになった。初めて歌った演歌は千昌夫の「北国の春」で、こぶしを回す楽しみを知ることになる。小学校2、3年の頃だった。中学生になるとアメリカのロックやポップスが好きになったが、日本の歌謡曲も好きで特にBEGINの「島人ぬ宝」が大好きでよく歌っていた。CDショップでは日本の歌謡曲などが扱われておらず、すべてはカラオケで人が歌っているのを聴いて覚えたという。テレビの「のど自慢」や「紅白歌合戦」は見ていた。まだ日本語の意味もわからず、会話もできなかった。歌で日本語を勉強した。そして演歌歌手になりたいという思いが募ってくるが、どうすれば歌手になれるのかもわからなかった。ブラジルでの全国カラオケ大会で優勝し、日系人のイベントに呼ばれ、そこで、彼の歌を聴いた日本人男性に、日本で歌手デビューしないかと誘われる。人生のチャンスが訪れたとばかりに大学を中退して2016年に来日が、架空のデビュー話だった。親族の期待を背負っての来日だっただけに、だまされたショックは大きく、目の前は真っ暗だった。歌うのをやめようかと思ったこともあった。レコード会社への所属が決まったのは2018年のこと。その後、プロ歌手としてのデビューが決まる。デビューまでの経緯、そしてコロナとの遭遇、コロナ禍での活動について22歳を迎えたばかりの若き演歌歌手に話を聞いた。

来日から2年、
やっと夢の入り口が見えました

――まず、来日してからデビューが決まるまでの経緯を教えてください。

黒木ナルト(以下ナルト) レコード会社が決まったのは来日して2年目の2018年でした。オーディションを経てテレビ東京の「THEカラオケ★バトル」に出演し、そこで複数のレコード会社からデビューのお誘いを受けました。やっと、夢の入口に到達したという思いでした。それまでは、とにかく日本語もしゃべれなくて、ホームシックにもなりました。ただ、来日後に知り合った、当時僕の面倒を見てくださっていた日本の方が、このままでは進歩もないため、ブラジルの家族とも一切連絡をとらず、まずは日本語を勉強することを勧めてくださって、そこからは毎日日本語だけの生活をしていました。まずは日本語を覚えること、日本の文化を勉強することで精一杯で、ある意味歌手になるという夢から遠のいていました。1年くらいたって日本語が少し話せるようになったときにアルバイトを始めて、老人ホームやデイケアの慰問活動もするようになりました。初めて老人ホームで歌わせていただいたときに、やっと人の前で歌うことができて、そして僕の歌を熱心に聴いてくださっているおじいちゃん、おばあちゃんたちの嬉しそうな表情を見たとき、僕のミッションはやはり歌手になるということだと、一気に思い出しました。「THEカラオケ★バトル」に出ることさえ僕にとっては奇跡的なことなので、まずはオーディションに受かるかどうかが心配でしたが、出演がかないました。レコード会社から連絡をいただいたときも、正直に言いますと、また騙されているのではないかと一瞬ですが不安が過りましたが、もちろんそんなこともなく、徳間ジャパンコミュニケーションズからデビューする運びとなりました。

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