映画は死なず 実録的東映残俠伝

―五代目社長 多田憲之が見た東映半世紀 1972~2021―

文=多田 憲之(東映株式会社 代表取締役会長)

ただ のりゆき
1949年北海道生まれ。72年中央大学法学部卒業、同年4月東映株式会社入社、北海道支社に赴任。97年北海道支社長就任。28年間の北海道勤務を経て、2000年に岡田裕介氏に乞われて東京勤務、映画宣伝部長として着任。14年には5代目として代表取締役社長に就任し20年の退任と同時に取締役相談役就任。21年6月、現職の代表取締役会長に就く。

企画協力&写真・画像提供:東映株式会社

第3回
〝不良性感度〟という二代目社長岡田茂のビジョン

 1973年に公開された『仁義なき戦い』は、広島やくざ抗争を体験したある組長の手記を土台にした飯干晃一のノンフィクション小説の映画化で、実在した人物をドキュメンタリー・タッチで描き、暴力シーンなども痛みを感じるほどに、狂暴なリアルさで描かれていた。その後に続く〝実録シリーズ〟の第1作となった。そこには、もはや任俠はなかった。73年と言えば、日本がオイル・ショックに見舞われた年で、革マル派・中核派の内ゲバが頻発するといった世相の中、深作欣二監督は、それまでの東映の任俠映画に見られた美学も俠気もない、現代やくざ組織の権力抗争の醜悪さとすさまじさを描き、『仁義なき戦い』は、沈滞気味の邦画界にあって画期的な興行成績をあげた。義理と人情という価値観から、まさに〝仁義なき〟男の世界へと、時代の要求も変わっていたのだ。ドキュメンタリー映画のようにリアリティをもって描かれたやくざたちの抗争シーンは、当時テレビニュースでも盛んに報道されていた、学生運動終焉の頃に起きた東大内ゲバによる殺人事件の映像に重なる。朝鮮動乱の特需景気の世相の中で膨れ上がり、分裂し、抗争を繰り返しながら、やがて大きな時代の転換に翻弄され消えていく地方やくざであるアウトローな登場人物たちは、気取っていえば、アナーキーな主人公として、当時の世相に受け入れられたのだろう。菅原文太たちが話すド迫力の広島弁も、モノマネされるほど話題になった。本シリーズには、日活を離れた小林旭や梶芽衣子も出演するが、『仁義なき戦い』の前年に公開された梶芽衣子主演の『女囚701号 さそり』にも触れておこう。

1972年公開の『女囚701号 さそり』は、「ビッグコミック」に連載された篠原とおるの劇画『さそり』を映画化した『女囚さそり』シリーズの第1作。ヒット作になるとは誰も想像していなかったが、試写を観た当時入社して間もない多田青年は「これは絶対当たる!」と直感し、その直感は見事的中。その後シリーズ化されるほどの予想を上回るヒット映画となった。梶芽衣子が演じる女囚松島ナミは、社会に踏みにじられ底辺に生きる女たちの〝怨〟の化身であり、権力に抵抗する。〝怨〟をはらんだ梶の美しさは、当時〝凄絶美〟と表現されていた。梶のナミは、73年公開の『女囚さそり 701号怨み節』まで4本が製作された。第1作から3作までのメガホンを取った当時新人の伊藤俊也監督は、照明やメイクなどで大胆に劇画タッチにデフォルメした演出で、独自の様式美を披露した。女子刑務所という知られざる世界を舞台としたこのシリーズも〝不良性感度〟のセンサーにより生まれた東映ならではの映画だと言えよう。ポスター画像は72年公開のシリーズ第2作『女囚さそり 第41雑居房』で、前作の様式美がさらに推し進められた映像は、シリーズ随一の耽美的作品と評された。ナミを敵視する女囚のボス役で白石加代子が出演している。©東映

 劇画界に旋風を巻き起こした篠原とおる作『さそり』を映画化した『女囚さそり』シリーズの第1作『女囚701号 さそり』は1972年に公開された。女子刑務所という、それまで描かれなかった舞台設定、女囚たちの同性愛やリンチなどの強烈なシーンの連続、そして復讐に燃える怨念の女囚ナミを演じた梶芽衣子の野性的な魅力が、劇画的にデフォルメされた虚構の中でひときわ輝きを放ち、〝シラケ〟ムードが蔓延する世相の、鬱屈した若者たちの気持をとらえ興行的に成功を収めることになった。梶が唄う主題歌「怨み節」も大ヒットした。『パルプ・フィクション』などで知られるクエンティン・タランティーノが梶の熱狂的なファンであることは、すでに有名だが、監督作『キル・ビル』でも「怨み節」が使われている。梶主演で4本作られた後、ナミ役は多岐川裕美、夏樹陽子へと引き継がれるが、やはり〝さそり〟は梶芽衣子のものだった。

『仁義なき戦い』公開の前年72年に『ゴッドファーザー』が公開され日本でも大ヒットとなった。実際の出来事に向き合い、目をそらすことなく、そこを克明に描くことで大衆を惹きつけたと、ヒットの要因を分析した東映二代目社長岡田茂は、〝和製ゴッドファーザー〟の位置づけとして『仁義なき戦い』の製作を決定した。岡田が社長に就任した71年から3年間くらいが日本映画界の最大の危機だった、と後に岡田は言っていた。その時期、岡田は生き残り手段として考え得るかぎりの策を講じ、東映改革を実践した。球団運営をしていた東映フライヤーズを72年に売却。時代に先駆けていち早く経営に関わり、先見の明で一時は日本一のレーン数を誇っていたボウリング場経営も、ブームが去り下降線をたどりつつあるのを見極めると、多角経営を支えたボウリング場の閉鎖に着手し、76年にはボウリング事業から完全撤退した。だが、社員を解雇することをしなかったため、経営は苦しかった。大量生産する予定で雇っていた撮影所の社員たちも、製作本数が減ったからと辞めさせるわけにはいかない。新規事業を展開させるなどして、社員たちの働き場所を用意した。岡田がそのとき言った「泥棒と詐欺以外は何でもやれ」発言はもはや伝説的でもある。実際、社員を雇用し続けるために、とにかく何でもやった。不動産業務の拡張、ビデオ事業の拡張、パチンコ屋の経営、ゴルフ場経営、シティホテル建設などで事業の再構築を図る。そんな状況の中で、『仁義なき戦い』は登場した。社会情勢、観客の動向を見極めた上での実録映画製作という岡田の英断が社の窮地を救った。

『仁義なき戦い』シリーズは、広島やくざ抗争の渦中に生きた元やくざの組長の手記をもとに、飯干晃一が書いた実録ノンフィクションの映画化で、広島・呉でやくざのいざこざに巻き込まれ、殺人を犯して服役中に刑務所で知り合ったやくざの世話で、出所後に組員となり、チンピラから幹部へ、そして組長へとのし上がっていく男を菅原文太が演じた。『広島死闘篇』『代理戦争』『頂上作戦』『完結篇』と、1973年に3作、74年に2作とすごいペースで公開されている。それほど客が入ったシリーズである。また、74年からは1作が独立したストーリーの『新 仁義なき戦い』シリーズが始まり、番外編という位置づけの79年『その後の仁義なき戦い』まで通算全9作が製作された。暴力の世界に生きる疎外された男たちの、ある意味青春群像が、深作欣二監督の手持ちカメラを多用した迫力ある映像とテンポある演出で強烈に描かれている。ポスターは、74年公開のシリーズ第5作『完結篇』で、脚本はそれまでの笠原和夫から高田宏冶に代わった。文太の他に、北大路欣也、松方弘樹、山城新伍、田中邦衛、伊吹吾郎、金子信雄に、日活を離れた小林旭、宍戸錠も出演。内田朝雄、天津敏、織本順吉、曽根晴美、八名信夫、川谷拓三、誠直也、成瀬正孝といった強面の俳優たちもこのシリーズには欠かせない。©東映

 当初、4作目の『頂上作戦』でシリーズは終了予定だったが、ドル箱シリーズとなったため5作目の『完結篇』まで製作され、さらに6作目からは1作完結の〝新〟シリーズとして製作されることになり、深作欣二は、通算8作目となる『新 仁義なき戦い 組長最後の日』までメガホンをとった。岡田は実録シリーズの題材として、政界や警察内部などを扱うもの、プロ野球の黒い霧事件、連合赤軍、映画会社大映の興亡なども企画として構想していた。73年には安藤昇主演の『やくざと抗争 実録安藤組』、高倉健主演の『山口組三代目』、75年には菅原文太主演『県警対組織暴力』などのヒット作を生んだ。こうして『仁義なき戦い』で、実録映画という新しい映画の地平を開拓した東映だったが、実録路線は長くは続かなかった。ネタがないのである。実録というものは本物のリアルさを見せなければならないのだが、映画として通用するドラマ性のある作り物ではないネタにつきてしまったのだ。もっともこの手の実話が多いと世の中は物騒だということになる。実録路線が全盛を極めたのは3年間程度だった。

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