22.07.27 update

第8回 すばらしき映画人 東映前会長岡田裕介と吉永小百合

 岡田裕介の東映入社に関しては、本人の弁を正確に伝えると、東映には入りたくなかったと。フジと電通から映画部門を任せるから来てくれないかと誘いを受けていた。だが、当時専務の高岩淡(93年~02年東映三代目社長)から、「裕ちゃん、何を言っているんだ。東映に入らないとだめだろう」と三顧の礼をもって迎え入れられることになったということだった。

 私は宣伝課長になってからは、北海道支社がつぶされないようにするのに必死だった。そのための最大の役目は、前売券を売ることだった。特に岡田裕介プロデュース企画は、全国の支社が一丸となって事に当たった。そうすると、その支社ごとにノルマが課される。そこから支社同士で、前売券を売る競争が始まる。それぞれアイデアを駆使してタイアップを企画する。 『華の乱』のときに私が企画したのが、『華の乱』大ヒット記念パーティというもので、札幌のホテルで開催した。前売券を100枚買えば、吉永小百合に会えるという触れ込みで、前売券を企業に買ってもらう。テレビ局に依頼して、北海道ローカルのニュース番組でパーティを生中継してもらった。前売券は7千枚売れた。北海道支社をつぶすわけにはいかないから、本社に認めてもらうために必死だった。ニュース番組で映画のパブリシティができ、宣伝効果も上々であった。ノルマは1万枚だったが、北海道支社では最終的に1万枚売り上げた。主役の与謝野晶子を演じた吉永小百合から、どんな趣旨でのパーティですかと尋ねられ説明すると、わかりましたと言って、タイアップ企画に積極的に協力をしてくれ、すべてのテーブルをまわって挨拶をしてくれた。その映画人としての姿勢と映画愛に、すごい人だなと感激した。

 95年、終戦50周年記念映画『きけ、わだつみの声』のときは、3万枚以上の前売券をさばいた。そうすると、そのことが当時の岡田茂会長の耳に届いて、「よくやった」と褒められた。どうやったら前売券を売れるかと、ほとんど寝ないで考えていた。苦労と言えば苦労だが、タイアップ企画を考えるのは楽しくもあった。

 97年、私は北海道支社長に就任した。88年に東映に入社した岡田裕介は、90年に東京撮影所長になり、2001年には、東映のシネマコンプレックスの運営や映画の制作・配給をするティ・ジョイの社長に就任した。ティ・ジョイは、デジタルシネマ上映設備を有する日本初のシネコンだった。

 岡田裕介との仕事で、忘れられないのは、2003年に札幌駅の駅ビル札幌ステラプレイスセンター7階の札幌シネマフロンティアのオープンに携わったことだ。札幌ステラプレイスセンターは北海道初の駅ビルであり、札幌シネマフロンティアは駅ビル初のシネコンである。

 もともとの発想は、夕張で、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭というのがあって、その実行委員長が中田夕張市長で、副実行委員長が、JR北海道の坂本社長だった。私も出席していた実行委員会の会合会場で、その坂本社長から声をかけられ、札幌駅を再開発するに当たっての夢が、東宝、松竹、東映の大手邦画映画会社3社で経営して、映画祭をやることだと打ち明けられた。大手映画会社3社が共同で経営するなんていうことは前代未聞のことである。東宝、松竹にもそれぞれの主張、言い分があり、それぞれの利益のため算盤をはじく。すんなりと決まるはずがない。企画が頓挫しかけたそのときに、手腕を振るったのが岡田裕介だった。『鉄道員(ぽっぽや)』のロケハンで北海道を訪れた際に、坂本氏に会うために岡田はJRに向かった。99年のことだった。そのとき、岡田は「私が坂本龍馬を務めましょう」と宣言した。薩長同盟よろしく、1週間足らずで東宝と松竹の仲立ちをし、取りまとめてしまったのだ。そうして、東宝、松竹、東映の3社の共同事業体で運営するシネコンが誕生した。東映の窓口を、岡田裕介と私が担当していた。それまで、東宝系、松竹系それぞれの劇場でしか上映されなかった作品も、このシネコンでは上映が実現できることになったわけである。極端に言えば、3社が組むことで洋画、邦画問わず、どんな映画でも上映できることになるわけである。

 その頃、こんなエピソードがある。岡田が、「多田さんは何年生まれ」って訊いてきた。「昭和24年生まれですよ、一緒ですよ」と言うと、「いや、それはわかっているんだけどさ、何月生まれ」って重ねて訊いてくる。「9月ですよ」って答えたら、「なんだ、弟じゃねえか」、とそこから「多田」と呼び捨てになった。岡田は5月生まれだった。

 いよいよオープンの運びとなる前年に東宝の忘年会があった。岡田裕介も私も出席していた。JR北海道の坂本氏も出席していて、岡田となにやら話している。岡田は私を探していたらしく目が合うと「多田、多田」と私を手招きする。「映画作ること決まったから」と言う。坂本氏から、吉永小百合主演で北海道の映画を作ってくれと頼まれ、即決したということだった。そうして2003年の札幌シネマフロンティアのオープニングの際に、製作発表をした。それが2005年公開の『北の零年』だった。岡田からは、北海道支社で前売券を10万枚売れと、なんとも無茶苦茶な指示があった。この難題を見事やり遂げたのは、その後、私の後任として北海道の映画部門の責任者に就く佐藤という女性だった。当時、本社勤務だった私も、販促と称する飲み会の為、毎週北海道へ行っていた。作品は大ヒットだった。

北の零年
明治3年の庚午事変に絡む処分により、明治政府により徳島県の淡路島から、北海道静内へ移住を命じられた、筆頭家老職の稲田家と家臣の人々の物語で、北海道の政財界が一丸となって協力して製作された、2005年公開の行定勲監督作品『北の零年』。静内の地を開墾すれば稲田家の領地となるという政府の言葉を信じ、一同は希望に満ちるが、廃藩置県により、移住命令が反故になり、一同には過酷な運命が待ち受けていた。この映画は、2003年にシネコンとしては当時画期的だった駅ビルのシネコンである札幌シネマフロンティアの開業に関係して製作されることになった。当時30代前半だった行定勲は、次々と話題作を手がけ、注目されていた映画監督で、行定が撮った『GO』を観た主演の吉永小百合が監督にと提案し、吉永の指名に感激した行定は快諾したという。まだ、『世界の中心で、愛をさけぶ』の撮影前だった。吉永の夫役には、当時まだ大きな名声を得る前の渡辺謙で、渡辺は出演オファー前から、吉永の作品には何が何でも参加したいと出演を希望していたと言っていた。吉永主演の映画には、その時代の若手の俳優たちが、こぞって名乗りを挙げるが、本作にも、豊川悦司、石原さとみ、石田ゆり子、香川照之、阿部サダヲらが出演している。本作は吉永小百合出演111本目の映画で、タイトルを命名したのは、製作総指揮をとった岡田裕介だった。吉永は本作でも日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞している。©2005「北の零年」製作委員会

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