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なぜ世田谷区はアーティストの街になったか。その1「世田谷美術館」で開催中の「美術家たちの沿線物語 小田急線篇」で腑に落ちた!

成城学園前から喜多見駅あたり

 本展では、沿線をなぞりながら、ゆかりの美術家たちとその作品も紹介している。

〈成城学園前から喜多見駅あたり〉からたどると、洋画家の伊原宇三郎(1894-1976)とピアニストでのちに小説家となった妻・由起しげ子(1900-1969)、成城学園で美術教師を務め指環作家となった画家の奥村博史(1889-1964)と、そのパートナーで婦人解放運動家の平塚らいてう(1886-1971)、陶芸家の富本憲吉(1886-1963)と随筆家の富本一枝(1893-1966)夫妻がいる。

 このほかに、染色家の野口道方(1906-1991)、日本画家の稗田一穂 (1920-2021)、詩人で美術評論家の瀧口修造 (1903-1979)が戦後しばらく仮寓。彫刻家の飯田善國(1923-2006)、画家の横尾忠則(1936-)、絹谷幸二(1943-)もまた、成城にアトリエを構えた。成城の駅を南に下っていくと、映画撮影所の東宝スタジオがある。駅の南側には、洋画家の飯島一次 (1909-1998)、森芳雄 (1908-1997)、版画家の稲垣知雄(1902-1980)、ブックデザイナーの平野甲賀(1938-2021)、日本画家の高山辰雄(1912-2007)らがいた。画家・清川泰次(1919-2000)のアトリエは、世田谷美術館分館・清川泰次記念ギャラリーとなっている。喜多見駅界隈の作家には、終戦間際の一時期、日本画家の堀文子 (1918-2019)が仮住まいをしていた。本展では喜多見在住で、雑誌などで活躍中の平野太呂(1973-) の写真作品が紹介されている。

横尾忠則《青い沈黙》1986年 世田谷美術館蔵

 成城という街を語るうえで、成城学園とともに欠かせないのが、駅の南側にある東宝スタジオ(旧・東宝撮影所)だろう。映画の撮影所ができたことで、監督や俳優なども移り住み、明るく華やかなイメージがもたらされた。伊原宇三郎はここで撮影された最初の映画『ほろよひ人生』の撮影風景を取材して《トーキー撮影風景》を完成させた。このときスクリプターを務めていたのが若き日の瀧口修造。本展では黒澤明(1910-1998)直筆の『七人の侍』のスケッチ、成瀬巳喜男監督作品の美術監督を務めた中古智(1912-1994)の『浮雲』のセットスケッチ、中古の美術助手をつとめた竹中和雄 (1929-)の資料、そして、祖師谷に住まい、美術監督を務めながら絵画制作にも取り組んだ久保一雄(1901-1974)の作品も展示されている。

 成城地域は自治会の歴史も古く、今も発行している自治会報『砧』の発行初期の紙面を見ると、文芸誌と見まがうばかりの豪華執筆陣に驚かされる。「砧人会(ちんじんかい)」は、成城に住んだ文化人たちがつくったゆるやかな集まりの親睦団体。1932年(昭和7)から1939年(昭和14)まで月例で会合を開き、戦争が激しくなるまで活動は続いた。

 次回は、〈祖師ケ谷大蔵駅から千歳船橋駅あたり〉〈経堂駅、豪徳寺駅あたり〉をお伝えします。
(本稿は世田谷美術館発行のガイドブックを参照)

「美術家たちの沿線物語 小田急線篇」は、世田谷美術館にて、2024年4月7日(日)まで開催。毎週月曜日休館。10:00~18:00まで(最終入館17:30)


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