画家・田中一村(1908~77)が神童と称された幼年期から終焉の地である奄美大島で描いた最晩年の作品までを網羅した大回顧展が、東京都美術館で2024年9月19日(木)~12月1日(日)の期間開催される。
一村が知られるようになったのは、1977年に奄美で没した後、三回忌に奄美の人たちの手で行われた展覧会が地元メディアで報じられ、4年後の1984年にNHK教育テレビ「日曜美術館」で全国放送されてからである。一村は生涯に一度の個展などの形で作品を発表することなく、無名のまま没したのである。
本年は最初の「日曜美術館」放映から40年にあたる。一村は現在の東京藝術大学に東山魁夷らと同級で入学したものの、2カ月で退学。退学した一村は、「最後は東京で個展を開いて、絵の決着をつけたい」と述べたが、ついにその機会が訪れたことになる。
本展は、絵画作品を中心に、スケッチ・工芸品・資料を含めた250件を超える作品で、一村の全貌に迫る。出世欲も持たず、一心に「描くことに」に取り組んだ一村の生涯は「不屈の情熱の軌跡」と言われる。奄美の田中一村美術館の所蔵品をはじめ、未完の大作や近年発見された初公開作品も出品される貴重な機会であり、時を越え、一村の作品が多くの人を魅了する秘密が解き明かされる。
栃木町(現・栃木市)に生まれる。本名は孝。大正3年(1914)、東京に転居。翌年、彫刻師の父から米邨(べいそん)の画号を与えられる。幼年期から卓越した画才を示し、神童と称される。南画を得意とした。大正15年(1926)、東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科に入学するも、2ヶ月で退学。「家事都合」とされるが詳細は不明(同級生には後の日本画壇を代表する東山魁夷や橋本明治らがいた)。その後、3人の弟と両親を立て続けに亡くす。昭和13年(1938)、姉、妹、祖母と千葉に転居。農業をしながら制作に従事。
昭和22年(1947)、柳一村と画号を改め、《白い花》が青龍展に入選。翌年、田中一村の名で同展に入選するも、自信作が落選したため辞退。その後、日展、院展と相次いで落選。わずかな支援者を頼りの制作が続くが、昭和33年(1958)、50歳にして単身奄美大島へ移住。紬織の染色工として働き、生活費を貯めては、奄美の自然を主題とした絵に専念する日々を送る。昭和52年(1977)、夕食の支度中、心不全により亡くなった。享年69歳。
昭和54年(1979)、有志により奄美で遺作展が開催され、異例の3千人もの動員を記録。昭和59 年(1984)、NHK「日曜美術館」の特集放映で全国的に注目を集め、その後も展覧会の開催や評伝刊行など、顕彰の動きは止まず、平成13年(2001)、奄美に田中一村記念美術館が設立された。
「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」
会期:2024年9月19日(木)~12月1日(日)
会場:東京都美術館 企画展示室(台東区上野公園8-36)
開室時間:9:30~17:30 金曜日は9:30~20:00 *入室は閉室の30分前まで
休室日:月曜日、9/24(火)、10/15(火)、11/5(火)
ただし、9/23(月・休)、10/14(月・祝)、11/4(月・休)は閉室
観覧料:一般:2,000円 大学・専門学校生:1、300円、65歳以上:1,500円
お問い合わせ:050-5541-8600
展覧会公式サイト:https://isson2024.exhn.jp/