散歩は、街を一冊の本のように読むことだ。だから、スマホでの撮影は、読書感想を忘れないための、メモ書きみたいなものなのだ。この「スマホ散歩」を読んでくれた人が、それぞれの街を読書し始めたらとても嬉しい。何か楽しい風景に出会えることを願っている。
第57回 2025年1月29日
電線が円を描いている状態を目撃すると、すぐに子供の頃観た西部劇を懐かしく思い出す。カウボーイが輪っかにしたロープをクルクルまわして投げつけ、牛や馬を捕獲する場面だ。かっこよかった。当時ロープを買って真似したけれど、どうやってもロープは円になってくれなかった。凄い技だと、カウボーイに憧れた。(大人になってから、ロープの芯に針金が入っている事を知った)
もしかすると、あのカウボーイのロープのシーンを見ていなければ、丸まった電線など目にとめる事などなかっただろう。
だとすると、撮影したくなる全ての対象物は、既に記憶の中に潜んでいるものなのかも知れない。
新鮮だと感じて撮影した風景も、面白いと思ってシャッターを押したものも、みんな既に自分の頭の中にあった。
そう考えると、撮影行為は外部化した内部との出会いというわけだ。なんのことはない。散歩して撮影することは、自分自身を探し歩いているようなものなのだ。(笑)
はぎわら さくみ エッセイスト、映像作家、演出家、多摩美術大学名誉教授。1946年東京生まれ。祖父は詩人・萩原朔太郎、母は作家・萩原葉子。67年から70年まで、寺山修司主宰の演劇実験室・天井桟敷に在籍。76年「月刊ビックリハウス」創刊、編集長になる。主な著書に『思い出のなかの寺山修司』、『死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日』など多数。現在、萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館の特別館長、金沢美術工芸大学客員教授、前橋市文化活動戦略顧問を務める。 2022年に、版画、写真、アーティストブックなどほぼ全ての作品が世田谷美術館に収蔵された。