散歩は、街を一冊の本のように読むことだ。だから、スマホでの撮影は、読書感想を忘れないための、メモ書きみたいなものなのだ。この「スマホ散歩」を読んでくれた人が、それぞれの街を読書し始めたらとても嬉しい。何か楽しい風景に出会えることを願っている。
第60回 2025年4月28日
子供達の山は公園にある。登り降りしやすいように手すりや、凹凸が施してある。見ていると、幼児は声を上げながら何度も何度も登り降りしている。人間は、本能として高い場所に行きたがるものかも知れない、などと思ってしまう。鳥のような視界を求めているのだろう。


大人達の山は、神社の中にある。神が照臨する場所らしいのだけれど、こちらも登り降りしやすいように手すりや階段が設置されている。富士山のミニチュアみたいな山もあるから、行けない人のために設置したのかもしれない。神社の人工の山に登ると、本当の富士山に登ったことになって御利益あるなら、今度手すりに捕まりながら登ってみてもいい。(笑)
私は、山岳信仰や御利益と無関係に、散歩で出会う盛り土を、勝手に超低山と見立てて撮影している。「日本超百名低山」を目指しているのだ。(笑)見立てるという視点も、やはり人間の本能に根ざしているのだろうか。見立てた瞬間から、凡庸な風景が愛おしくなるのだ。不思議なのである。


はぎわら さくみ エッセイスト、映像作家、演出家、多摩美術大学名誉教授。1946年東京生まれ。祖父は詩人・萩原朔太郎、母は作家・萩原葉子。67年から70年まで、寺山修司主宰の演劇実験室・天井桟敷に在籍。76年「月刊ビックリハウス」創刊、編集長になる。主な著書に『思い出のなかの寺山修司』、『死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日』など多数。現在、萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館の特別館長、金沢美術工芸大学客員教授、前橋市文化活動戦略顧問を務める。 2022年に、版画、写真、アーティストブックなどほぼ全ての作品が世田谷美術館に収蔵された。