散歩は、街を一冊の本のように読むことだ。だから、スマホでの撮影は、読書感想を忘れないための、メモ書きみたいなものなのだ。この「スマホ散歩」を読んでくれた人が、それぞれの街を読書し始めたらとても嬉しい。何か楽しい風景に出会えることを願っている。
第62回 2025年6月30日
どんな対象でも、撮影する時は頭の隅で「これは作品になるだろうか」と思ってしまう。
残念ながら、今まで撮影しているざっと700種類の大半は、作品からは遥かに遠い画像ばかりだ。

けれども、撮影した対象に対しては、どれも不思議に愛着心が湧いてくる。
その中で、なんとも言い難い、好きでも嫌いでもなく、作品にもならず、だけど見かけたら必ず撮ってしまうものがある。
それは鳥の死だ。見かけると一瞬躊躇してしまうけれど、保存する事が供養だと思えてきて、必ずシャッターを押す。昆虫の死も撮影しているのに、鳥の時のような迷いはまったくない。

多分自由に大空を駆け巡った鳥の死には、挫折、喪失、失望、敗北、無念などが感じられるからなのだろう。
鳥の死の画像を見ていると、必ず寺山さんの戯曲の台詞が浮かんでくる。
「俺は自分を飛ばす事ばかり熱中している一台のグライダーだ。鳥が翼で重力を支えていられるのは、ある速度で空気中を進む時に、周りの空気が抵抗で揚力を及ぼし、それが鳥の寂しさと釣り合うからだ。」

はぎわら さくみ エッセイスト、映像作家、演出家、多摩美術大学名誉教授。1946年東京生まれ。祖父は詩人・萩原朔太郎、母は作家・萩原葉子。67年から70年まで、寺山修司主宰の演劇実験室・天井桟敷に在籍。76年「月刊ビックリハウス」創刊、編集長になる。主な著書に『思い出のなかの寺山修司』、『死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日』など多数。現在、萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館の特別館長、金沢美術工芸大学客員教授、前橋市文化活動戦略顧問を務める。 2022年に、版画、写真、アーティストブックなどほぼ全ての作品が世田谷美術館に収蔵された。