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昭和に生き昭和を描いた長谷川町子

~サザエさんとともに~

『サザエさん』で知られる漫画家の長谷川町子さんは大正9年(1920年)生まれ。
本年は、生誕100年の記念の年に当たります。
因みに、俳優の三船敏郎さん、原節子さん、森光子さんも共に大正9年生まれ。
それぞれの少年・少女時代を同じような昭和の景色の中で過ごしてきたわけです。
実は、6月29日発行を予定しておりました「コモ・レ・バ?」第44号では、生誕100年企画として「漫画家長谷川町子」の特集を組むことが決まっていました。
編集作業も進んでいましたが、新型コロナウイルス問題による発行延期で企画も宙に浮いた状態になりました。
4月に開館を予定されていた<長谷川町子記念館>も開館の延期を余儀なくされていましたが、7月に開館の運びになったこともあり、まずは「コモ・レ・バ?」Webマガジンにて、「長谷川町子とサザエさん」といった趣で、〝昭和の漫画家〟長谷川町子をご紹介することにしました。
昭和49年に『サザエさん』の新聞連載が終了してから、すでに46年の歳月が流れましたが、今でも、新聞連載を愛読していた人たちから、アニメ世代の人たちにいたるまで世代を超えて「サザエさん一家」は日本国民の良き隣人として親しまれ続けています。

町子は昭和30年頃から姉の毬子と共に、大好きな美術品や工芸品の蒐集を始め、多くの方々に名画などを楽しんでもらうべく1985年11月3日に長谷川美術館(現・長谷川町子美術館)をオープンした。写真はオープンしたばかりの美術館の前での一枚。町子の死後も毬子が館長として美術品蒐集を継続し、長谷川姉妹のコレクションは、日本画311点、洋画250点、工芸品195点、彫塑32点の計788点にのぼる。2020年7月には分館として長谷川町子記念館がオープンし、記念館では長谷川町子の世界を存分に楽しめる空間作りがなされ、長谷川町子作品の貴重な原画資料の数々が紹介されている。

プロフィールはこちらをご覧ください

文=相澤弘子(長谷川町子美術館学芸員)
写真・画像提供=長谷川町子美術館


人々を魅了する
思いやりと前向きな生き方

長谷川町子は山脇高女在学中に田河水泡に師事し、1935年10月号の「少女倶楽部」に見開
き2ページで『狸の面』が掲載され、漫画家としてデビューした。また、グラビアページ
でも、15歳の天才少女漫画家として、「花形少女めぐり」の一人として高峰秀子らと共に
紹介されている。

 四コマ漫画『サザエさん』は1946年(昭和21)4月22日、福岡の新聞「夕刊フクニチ」で誕生した。作者の長谷川町子は四コマ漫画を依頼されたとき、終戦直後の暗い世の中を明るくしたいとの思いから、主人公をおてんば娘にすることを決めた。登場人物の名前を海産物にしたのは自宅の目の前に広がる百道(ももち)海岸で着想を得たことによる。作品に通底する明るくカラッとした笑いは耐乏生活に疲弊した読者の心をほぐした。以来約28年間、数紙での連載を経て、1974年(昭和49)2月21日に朝日新聞朝刊で連載終了を迎えるまで、町子は作品を通じて戦後昭和の時勢を描き続けたのである。

 連載が終了して半世紀近くも経とうとしているのに、今なお『サザエさん』が私たちを魅了するのはなぜだろう。まずは思いやりと前向きな生き方が挙げられるのではないだろうか。町子は磯野家について次のように語っている。「生活の中にうるおいっていうか、愛情ですね、そういうものをたっとんで楽しく暮らしてる一家なんです。みんなオッチョコチョイで慌てん坊ですけど、人が困っていれば助ける気持ちはありますし、苦しいことがあっても、それを暗く考えない。」(「週刊朝日」昭和25年5月28日号)前向きで人に対する優しいまなざしが作品の礎となっている。これは町子自身が「その日を一生懸命に精いっぱい働いていれば困ることはない」という楽天家を自負していたこととも深く関係しているようである。

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