第24回【成城シネマトリビア】  東宝撮影所名物、大プールと農場オープン

 1962年に、『七人の侍』撮影時に作られた大道具倉庫を利用して、「東京美術センター」という名のスタジオ(略称「美セン」/のちの「東宝ビルト」)になってからは、主にテレビ映画の撮影に使用。ここでは、「ウルトラマン」(66〜67年)以降の円谷特撮シリーズや、「青春とはなんだ」(65〜66年)をはじめとする東宝製作による学園ものが撮られており、当該フィルムには近隣の砧中学校や大蔵・成城の風景がたくさん写り込んでいる。

 筆者は、円谷プロ製作によるテレビ特撮シリーズにスクリプターとして関わった田中敦子さんの案内により、「美セン」廻りを隈なく散策したことがある。田中さんによれば、「ウルトラマン」撮影時でも世田谷通りからステージまではほとんど畑と農家しかなく、いきなり‶掘っ立て小屋〟風のラーメン店が出来たときには、スタッフ一同大いに歓喜したという。ただ、元々が倉庫だったのでスタジオとしての設備は劣悪、同時録音はできず、ここで撮ったテレビ映画の台詞は全てアフレコで処理するしかなかったとのことだ。

▲田中さんと美セン跡を訪ねる。筆者が指さす木は当時からあったという。右写真は現在のコモレビ大蔵。緩やかな傾斜があり、いやでも『七人の侍』の町の情景や『赤ひげ』の小石川養生所が思い起こされる 撮影:(左)神田亨、(右)岡本和泉
▲東名高速道路の向こう側が農場オープン跡(コモレビ大蔵) 撮影:岡本和泉

 特撮マニアには‶聖地〟的存在である「美セン」跡。今やその面影はまったくとどめていないが、本項をお読みの方なら想像力により、全盛時代の雰囲気を感じることは十分可能。こちらもいつかお訪ねいただきたい。

(註1)現在の東宝スタジオ入口に、初代社長として小林一三の銅像が鎮座していることから考えれば、その起点が小林翁による東京宝塚劇場の設立年(奇しくも同じ1932年)にあるのは明らか。

(註2)村のオープンが設営されたのは、東宝撮影所の東南、のちに大蔵団地15号棟が建てられる農地。稲刈りが終わって藩種までの間(11月〜2月)に撮影されたが、降雪の季節と重なり悲惨な状況となったのはご存知のとおりだ。

(註3)目撃した知人の話では、桑畑三十郎の着物はモスグリーン、袴は濃い茶色だったという。

高田 雅彦(たかだ まさひこ)
1955年1月、山形市生まれ。生家が東宝映画封切館の株主だったことから、幼少時より東宝作品に親しむ。黒澤映画、クレージー映画、特撮作品には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。東宝撮影所が近いという理由で選んだ成城大卒業後は、成城学園に勤務。ライフワークとして、東宝を中心とした日本映画研究を続ける。現在は、成城近辺の「ロケ地巡りツアー」講師や映画講座、映画文筆を中心に活動、クレージー・ソングの再現に注力するバンドマンでもある。著書に『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)、近著として『今だから! 植木等』(同2022年1月刊)がある。

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