実は『波の数だけ抱きしめて』は原田知世&織田裕二の予定でシナリオ打ち合わせをやっていた。馬場監督はホイチョイ3部作は「原田知世」の3部作でもあると。
ところが、『私スキ』→『彼女が水着』の時と同じようにキャスティングの番狂わせは、また起こるのである。
今度は映画のスケジュールと原田知世さんのコンサートのブッキングされた日程が合わなかった。原田さんはこの頃から本格的に歌手活動をしていることはわかっていたが、8月公開の映画で撮影を予定していた春にコンサートが既に決まってしまっていた。コンサートは、ずらせない。勿論、本人は出演希望だったが、どうしてもスケジュール調整が出来なかった。
これは監督ではなくプロデューサーの責任である。他の映画なら撮影をずらす方法も考えたが、夏休み公開の映画、しかも海での撮影は必須だ。しかも東宝の年間の映画パンフレットには公開日も記されている。「邦画系」のブッキングは、前年には公開日も決定し(今の演劇もそうだが)これを変更するのは大変な事だった。原田知世さん本人には了承してもらったが、とても申し訳なかった。
ホイチョイムービー3部作のラストは夏休み公開で、ヒットすることが各所から求められていた。
原田知世に代わる映画女優はいないと思った。『彼女が水着』の時のようなオーディションの猶予も無い。内外からは色々言われることは覚悟のうえで、中山美穂にお願いした。
結果は3部作で最もヒットした。共演の俳優陣にも恵まれた。
▲『私をスキーに……』『彼女が水着に……』に続くホイチョイ・ムービー3部作の完結篇として作られたのが、1991年8月31日に公開された『波の数だけ抱きしめて』。82年の湘南を舞台に、学生生活最後の夏を本格的なFM局設立にかける5人の男女の恋の行方を描いている。映画には、実際に90年に湘南で開催されたイベントの放送局<サーフ90エフエム>と同じ周波数76.3MHzが使用されている。織田裕二は続投で、ヒロインは原田知世に代わり中山美穂が務めた。陽に焼けた健康的なミポリンの姿が、鮮やかに焼き付いている。別所哲也、松下由樹、阪田マサノブ、勝村政信らが共演。本作も一色伸幸が脚本を手がけている。音楽は再びユーミンが担当し「真冬のサーファー」をはじめとするユーミン・サウンドが気分を盛り上げてくれる。主人公の役名は、前作『彼女が水着に……』の原田知世が演じたヒロイン名・田中真理子が引き継がれている。82年が舞台ということで、アイビー、サーファー、ハマトラといった80年代全盛の若者たちのファッションが、公開時に観て懐かしいと目を細めた人たちも多かったに違いない。Tシャツ(写真左)も作られ、都会的なイラストが若者たちに人気だった。今見直してみると「みんな若かったな」というつぶやきと共に、帰らない青春の夏がよみがえり、胸がキュンとしめつけられる。作り手にとっても当時の若者にとっても、青春を語る1本に違いない。