第10回【私を映画に連れてって!】 小林武史、三上博史、山口智子、種田陽平……映画『スワロウテイル』のすばらしき仲間たち。そして僕はフジテレビを離れる覚悟ができた

 結局、殆どを日本人俳優で行くことになり、プロデューサーとしては、製作費も高いので、ヒットを目指し、スター俳優を多く起用することにした。
 その一人が山口智子さんだった。『七人のおたく』(1992)にも出演してもらい、個人的にも知り合いであり、岩井監督とは『Undo』(1994)で一緒だった。出演はすんなり決まったが、4月からの月9ドラマ「ロングバケーション」に出演が決まっていた。ドラマ撮影は3月初旬からだ。映画は主演ではなかったがドラマの撮影からの逆算で2月23日からのスケジュールを映画用にもらった。江口洋介さんも僕がやっていた『ACRI』(石井竜也監督/1996)のオーストラリア撮影から帰国後、そのまま参加してもらう段取りだった。
 主演の三上博史さん、CHARAさん、渡部篤郎さんはほぼ日本語を喋らない役だ。三上博史さんは全編、中国語と英語だけだ。中国語の個人レッスン(特訓)は凄まじいものがあった。

 そこに香港からスタッフが全員帰国した。

 助監督(演出部)ら中心にクランクイン延期必至を迫られる。普通に考えれば、これから1か月後に、撮影場所も決まっていない中で、どうやって準備するのか?……御尤もである。しかも無国籍感のあるセットは必須……。

 こういう時、プロデューサーとして判断は辛いものである。

 ここは、〝撮影所育ちの常識〟を備えていない岩井俊二監督のバランス感覚に救われる。

 此方の立場で言いたいことも色々ある。せっかく山口智子さんの出演も決まって、メジャー感を出しながら製作を進めていきたい。クランクインをずらすと彼女を含めて出演できなくなる俳優が数人いるのである。しかも公開を9月に予定していた。公開をずらすのは大きなダメージを伴う。美術監督の種田陽平さんらの前向きな発言もあり、一刻も早く場所を見つけ、無国籍感のある大きなセットも作らなくては行けない! の方向に……。

〝突貫工事〟の決定をした。

 結局、湾岸、浦安地域にオープンセットも作り、有明の倉庫では「阿片街」なるものも誕生する。約1か月でクランクインまで漕ぎつけることになる。

 初日、山口智子さんの浅草辺りから撮影開始になったが3日後の撮影場所が決まらず、自転車操業が続く。レコード会社(設定)の中が借りられず、官舎の廃屋のような場所で撮ったり……、撮影とロケハンの繰り返し……。2か月以上の撮影で、結局クランクアップはGWになり、1週間位延びただろうか。それでもラストシーンを撮り終えた時は嬉しかった。皆に感謝だ。

 他にも、イマジカでのポストプロダクションが突然LAのフォトケムに変わって、監督らはLAに3か月滞在になったり、結局完成は9月になってしまったり……。現像のフィルムの質感に撮影監督の篠田昇さんと岩井俊二監督の拘りはモノ凄いものがあり、理想を求めてのLA行きだった。自分はこの時は毎日、東京で円とドルの為替相場を見る日々だった。

▲1997年、『スワロウテイル』上映で出席したモスクワ国際映画祭での岩井俊二監督と筆者。この時代は、まだ共産主義の名残があり、宿泊のホテルも元共産党の施設で、入念なボディ・チェックがあったという。だが、映画『デルス・ウザーラ』に関わっていた人物の家に招待されたりと、親日の人たちも多かったという。さて、現在はどうなのであろうか。モスクワ国際映画祭といえば、61年には新藤兼人監督が『裸の島』でグランプリを受賞している。

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