第12回 【私を映画に連れてって!】〝私をカンヌに連れてって〟くれたエドワード・ヤン監督『ヤンヤン 夏の想い出』で監督賞受賞

 エドワード・ヤンは最初「シザース」(グーチョキパーのチョキの意)というプロットを書いてくれた。主演候補は金城武。日本でも人気で唯一とも言える中国人スター俳優。しかもエドワードと同じ台湾出身だ。監督と一緒に台北で出演交渉を行うも先方から厳しすぎる条件。エドワードから「あきらめよう……」と。役名も「タケシ」と名付けたサスペンスアクションの要素もあるこの企画はボツにしてしまった。また一からストーリーを考えるという。

 時間は残されていない。数日で「Yi Yi」というまったくテイストの違うプロットをエドワードから見せられ、あまりの違いに驚いた。家族の話で、祖母が亡くなったことで、孫である少年が少し成長する、という「シザース」とは真逆のような感じのストーリー。これが『ヤンヤン 夏の想い出』である。

 こんな地味な話で、カンヌ映画祭のコンペ作品に入れるのかは、僕にはわからなかった。カンヌは参加したことも無い映画祭だった。

 それでも一緒にシナリオ作成をやり、キャスティングなど共同作業である。日本でも熱海の撮影をリクエストされた。

 台北でクランクイン。日本からは、イッセー尾形さんの出演も決まった。撮影の最初を見届けて東京へ戻り、1週間位経ったころであろうか。エドワード・ヤンから、相談があるので台北へ来てくれと言う。

 それまでの撮影ラッシュを見せられ、感想を求められるも特に問題は感じなったが、彼は「これだとカンヌで賞が獲れない」と。痛いところをついてくる。僕はカンヌのコンペティションに映画を出品したことがないので正直、わからない。何が足りないかと言うと、今の主演女優でこのまま最後まで撮影してしまうと受賞するのが厳しいと。と言っても、その女優を決めたのは監督だ。僕は両親にも会っていた。今さら……と思いつつも、監督は別のテストのような映像を見てくれと。そこには新たな女優がいて、良い感じではあった。ただ、既に数日間の撮影が始まっている段階であり、日本では、その段階でチェンジはあり得ないだろう。が、もう、監督の気持ちは固まっていた。

 撮り直しのような状況になり、ただでさえアクシデント続きのプロジェクトに耐性が出来たようで「それで行きましょう!」と言ってしまった。

 最初、三人の前で「エドワード・ヤン監督にはカンヌ国際映画祭コンペティションに、スタンリー・クワン監督にはベルリン国際映画祭のコンペティションに、岩井監督にはヴェネチア国際映画祭のコンペティションかアメリカアカデミー賞に!」と。今、考えると3大映画祭に対しての自分のミーハーな興味のまま、浅はかにも思うが、結果、二人は実践してくれたのである。

〝私をカンヌに連れてって〟のごとく、僕は連れて行かれた感が強い。2000人以上の前での公式上映での6~7分のスタンディングオベーション。翌日の映画雑誌星取表では『Yi Yi』=『ヤンヤン 夏の想い出』が断トツのパルムドール候補。監督もパルムドールを疑わない、自信がありそう。

 ただ『オー・ブラザー』のジョエル・コーエン監督、『コード・アンノウン』のミヒャエル・ハネケ監督はじめ、ラース・フォン・トリア―、ケン・ローチ、オリヴィエ・アサイヤス、ジェームズ・アイボリー、イム・グォンテク、リブ・ウルマン……。それに大島渚、そして『花様年華』のウォン・カーウァイ監督。カンヌの常連だらけだ。

 結局パルムドールはラース・フォン・トリア―監督の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』だった。審査員特別グランプリはチアン・ウェン監督の『鬼が来た!』。我らは、監督賞。主演男優賞は『花様年華』のトニー・レオン。アジア映画が強い年だった。

 スタンリー・クワン監督らと挑んだベルリン国際映画祭コンペティションで『異邦人たち』は賞を獲れなかった。一緒にベルリンに行った大沢たかおさんはオープニングパーティでヴィム・ヴェンダース監督を見つけ、話しかけていた。その隣には音楽を担当したBONO(U2)がいて、彼にも果敢にアプローチしていた。その年のオープニング作品がヴェンダース監督の『ミリオンダラー・ホテル』で、大沢さんにはその後の活躍の刺激にはなったと思う。

▲エドワード・ヤンは1947年に上海で生まれた。2歳のとき、家族で台北に移住し、ロックと手塚治虫に影響されて育ったという。台湾の国立交通大学で電気工学を学び、フロリダ大学では計算機工学の修士号を取得している。台湾に帰国後、脚本を担当した『1905年の冬』で映画界入り。83年の初長編映画『海辺の一日』ではヒューストン映画祭グランプリを受賞している。『ヤンヤン 夏の想い出』のほかにも、東京国際映画祭審査員特別賞、国際映画批評家連盟賞を受賞した『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』、『台北ストーリー』、『エドワード・ヤンの恋愛時代』など、世界で認められた映画監督である。本年開催された2024年大阪アジアン映画祭のラインアップで、最も注目されたのは、エドワード・ヤンの記念すべき映画界入り初仕事作品『1905年の冬』の上映だった。2007年に59歳の若さで死去し、『ヤンヤン 夏の想い出』が遺作となった。『非情城市』や『冬々(トントン)の夏休み』(エドワード・ヤンは音楽を担当し、俳優として出演している)の侯孝賢(ホウ・シャオシェン)とともに台湾ニューシネマを代表する一人であった。
▲台北のマンションに両親、姉、祖母と住む少年ヤンヤンと家族の物語。叔父の結婚式を境にして、さまざまな事件が家族に起こり始める。エドワード・ヤン監督は、現代の家族を取り巻く多彩なエピソードを同時進行させ、穏やかな空気感の中に異様な緊迫感を同居させた映像世界を創り上げた。2000年のカンヌ国際映画祭での監督賞受賞をはじめ、ニューヨーク映画批評家協会賞外国語映画賞、ロサンゼルス映画批評家協会賞外国語映画賞などの賞に輝き、世界の映画関係者から、エドワード・ヤンの死後も髙評価を受け続けている。


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