第19回【私を映画に連れてって!】エミー賞18冠に輝いたアメリカ・ドラマ「SHOGUN 将軍」でその名を世界に轟かせた二人の〝開拓者〟真田広之と浅野忠信との出会い

 

 真田さんに対して「この借りはどこかで……」ということではなかったが、それから常に「真田広之」出演の映画の企画は考えるようになった。

 

『木村家の人びと』(1988)で、滝田洋二郎監督と一緒に仕事をしたことで、真田広之×滝田洋二郎の組み合わせを考えるようになった。僕は滝田監督のコメディ映画のセンスが大好きで『木村家の人びと』も僕が始めた<シネスイッチ銀座>の最初の邦画としてヒットし、モントリオール映画祭に呼ばれる等、評価もされた。


 ところが、『木村家の人びと』の公開とほぼ同時に、骨の癌で東京女子医大に長期入院することになる。29歳だった。30歳の誕生日は抗がん剤を打ちながらベッドの上で迎えた。


 森田芳光監督や滝田洋二郎監督ら多くの方がお見舞いに来てくれ、特にこの2人とのコミュニケーションから『病院へ行こう』(1990)が生まれたと言って良いと思う。コメディ映画のようなシチュエーションだった。この2人とはコメディ映画しか一緒にやった経験がなかった。


 そして、ベッド上で満を持して、主演は真田広之(ストーリー上は自分だが)、担当してくれた女医は薬師丸ひろ子さん似で、周りの患者たちとの悪戦苦闘? の日々をノートに書き続けた。ノート上は「723(なにさ)の部屋」となっているので723号室に入院していたのであろう。女医が「なにさ!」と呟くシーンがあった。


 人生は巡り合わせである。真田さんとはスキー映画では縁がなかったが、ここで彼は滝田洋二郎監督とも出会い、その後、立て続けに一緒に映画を創るのである。


 僕にとっても、まさかの自伝? で真田さんに主人公を演じてもらうとは予想もしなかった。

▲2008年の第21回東京国際映画祭の文化庁映画週間で開催され好評を博したプログラム「映画人の視点」。2009年の第22回には、日本を代表する映画人・真田広之の世界「The World of Hiroyuki Sanada」が開催された。日本はもちろん、アジア、ヨーロッパ、そしてハリウッドとグローバルに活躍する俳優・真田広之が登場し、ゆかりのゲストと「映画人・真田広之」の足跡や演技術を語る〔カンファレンス〕と、本人が選んだ〝スクリーンで観てもらいたい作品〟、ファンが選んだ〝スクリーンで観たい作品〟を上映する〔スクリーニング〕の2部構成からなるオールナイト・イベント。ゲストには原田美枝子、唐沢寿明、浅野忠信らが登場し、モデレーターを映画プロデューサーである筆者が務めた。〔スクリーニング〕で、映画ファン投票により選出されたのは日本初上映であった『The City Of Your Final Destination』、〝スクリーンで観てもらいたい映画〟として『病院へ行こう』が上映された。



『病院へ行こう』の撮影中だったか、真田さんから事務所を辞めた! と報告があり、そこから数年間は、まさに影のマネージャーではないがマンツーマンで行動することが多くなった。フジテレビの社員ではあったが、彼と会うときは1対1なので個人的な話まで入り込んだ。

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