今でもスタジオ入口に『七人の侍』と『ゴジラ』の壁画を掲げる東宝。〝明るく楽しいみんなの東宝〟を標榜し、都会的で洗練されたカラーを持つこの映画会社は、プロデューサー・システムによる映画作りを行っていた。スター・システムを採る他社は多くの人気俳優を抱えていたが、東宝にもそれに劣らぬ、個性豊かな役者たちが揃っていた。これにより東宝は、サラリーマン喜劇、文芸作品から時代劇、アクション、戦争もの、怪獣・特撮もの、青春映画に至る様々なジャンルに対応できたのだ。本連載では新たな視点から、東宝のスクリーンを彩ったスタアたちの魅力に迫る。
黒澤明監督と三船敏郎の名前を合体したような名を持つ俳優・黒沢年男(現:年雄)。その存在を東宝のスクリーンで強く意識したのは、どの作品だったろうか。デビュー作だという『女体』(64)や三船主演作『侍』(65)で黒沢に着目した記憶はなく、もしかするとそれは、特撮テレビドラマ「ウルトラQ」(66)の一話「海底原人ラゴン」だったかもしれない。
三船のイメージを引き継いだような粗暴さは、新聞や雑誌の取材で黒沢自ら「目標は三船敏郎さん」と再三語っていることからも明らかだが、どこか東宝のお偉方からの指示も感じられる。
「八方一郎」などというあまり嬉しくない芸名を提示され、これを拒否して本名で通したところなどは、大先輩ミフネの反骨精神を引き継いでいるかのよう。事実、東宝という会社であれほどまでの野性味を漂わせる男優は三船以来だった。
東宝に入る前の黒沢が歌手を目指し、ジャズ喫茶などに出入りしていたことはあまり知られていない。その職歴について自ら明かしたところでは、ダンプカーの運転手、キャバレー・バンドのドラマー、ボーイ、バーテン、土工、セールスマンなど、十七の職に及ぶ。
「今となっては、いろんな職業を転々としたことがかえってプラスになりました」
これは、成瀬巳喜男監督『女の中にいる他人』(66)でバーテン役をやった時に発したコメントだが、『エレキの若大将』(65)のベーシスト役(バンド名はヤングビーツ!)もなかなか様になっていた(※1)。
デビュー後すぐに、成瀬や稲垣浩など巨匠の作品や、『若大将』、『社長』といった人気シリーズに連続出演できたのは、会社の期待の表れに他ならない(※2)。硬軟取り混ぜた役柄を、まずはそつなく演じきったという印象だが、黒沢がその真価を発揮したのは『歌う若大将』(66)の添え物で、『パンチ野郎』と題された青春コメディだった。
若大将ネタがふんだんにちりばめられた本作で黒沢は、嬉々として歌唱場面に挑戦。本当は歌手になりたかったという本音が透けて見えるかのようだ。カメラ、IVYファッション、学生運動など、当時の若者文化も巧く取り入れられていて、地方住まいの若者は黒沢を通じて東京への憧れを募らせたに違いない。
脚本は田波靖男、監督が岩内克己と、もしかするともうひとつの〝若大将シリーズ〟になったかもしれない作品だが、媒体も観客もこれを徹底的に無視。〈不遇な作品〉となったことから、以降、こうした軽い役や企画は黒沢にはほとんど回ってこなくなる。