今でもスタジオ入口に『七人の侍』と『ゴジラ』の壁画を掲げる東宝。〝明るく楽しいみんなの東宝〟を標榜し、都会的で洗練されたカラーを持つこの映画会社は、プロデューサー・システムによる映画作りを行っていた。スター・システムを採る他社は多くの人気俳優を抱えていたが、東宝にもそれに劣らぬ、個性豊かな役者たちが揃っていた。これにより東宝は、サラリーマン喜劇、文芸作品から時代劇、アクション、戦争もの、怪獣・特撮もの、青春映画に至る様々なジャンルに対応できたのだ。本連載では新たな視点から、東宝のスクリーンを彩ったスタアたちの魅力に迫る。

十年の長きに亘り東宝のスクリーンを賑わせた、いわゆる〝クレージー映画〟。植木等が「無責任男」を演じた二部作と、そこから派生した「日本一(の男)」シリーズ、それにクレージーキャッツ全員が活躍する「作戦」シリーズと時代劇シリーズがあり、計三十本も作られた。
この人気シリーズの多くで植木の相手役を務めたのが、団令子と浜美枝の二人である。現役時代、共に撮影所のある成城に住まった。
団は〝お姐ちゃんシリーズ〟(※1)の流れで出演した『ニッポン無責任時代』(62)をはじめとして、『ニッポン無責任野郎』(62)から『大冒険』(65)までの初期作品で植木と堂々と渡り合う職業婦人などに扮し、大いに存在感を発揮する。
一方の浜美枝は、『日本一の色男』(63)からクレージー映画の常連となり、その半数の十四作で植木の相手役=マドンナを務めた。ただ、『クレージー黄金作戦』(67)では最後に植木を手玉に取る(裏切る)役回りだったことから、筆者ら植木ファンの少年たちからは大きなヒートを買った。

団令子の本名は「森令子」。元々モデルをしていたが、筧正典監督『大安吉日』(57)の撮影を見物しているところをスカウトされ、彼女を気に入った東宝プロデューサーの藤本眞澄により、團伊玖磨にちなんで命名された。東宝にはすでに「森岩雄」がいたから、というのが〈改名〉の理由で、〝アンパンのへそ〟なる渾名(『大学の若大将』では劇中、雄一や青大将からそう言われる)をつけたのも藤本だという(※2)。いかに丸顔=タヌキ顔とは言え、それはないでショ!
デビュー作は鈴木英夫監督の『目白三平物語 うちの女房』(57年3月公開)とされる団。しかし筆者は、その前年の斎藤寅次郎監督によるミュージカル喜劇『恋すれど恋すれど物語』(56年8月公開)に、端役ながら団が二つの役で出演しているのを発見。‶仕出し〟とはいえかなり目立っているので、元からスター性はあったのだろう。