昔は作家と直接会うことから映像化が始まることが多かったが、最近は出版社の担当編集者などが間に入って、エージェント的な役割をしてくれることが増えた。編集者も、作家とプロデューサーの間、あるいは自分の所属する出版社の意向などを汲みながら進めるので大変なことが多い。ただ、原作の映像化は原作者ありきが原則だ。
『地下鉄に乗って』(浅田次郎:著/篠原哲雄監督/2006)の映画化の際は、文庫本が「講談社」と「徳間書店」から発売されていた。我々は「講談社」の編集者と話をしながら、作品の方向性や監督の意向、プロット、脚本などを見てもらいながら進めていた。一方で、ある時に「徳間書店」にも映画化のオファーがあって、脚本を進めていることが発覚。しかも、そのプロデューサーは大先輩で、仕事をご一緒したことのある尊敬する方だった。
困ったことになり、編集者に、浅田次郎さんご本人に現状をぼくが直接話す機会を作ってもらった。作家としては、まさか同時に1つの作品で2つのプロジェクトが進んでいるとは知らず、他意はなかった。ぼくも「此方を優先してほしい!」とは言えず、最終的には浅田さんの判断になった。プロデューサーとしては、その時点できちんと契約書を交わすべきだったと反省も残った。ある程度のシナリオを原作者に了承を得てから、という時代ではあったかもしれないが、やはり、ゼロの段階でオプション権契約をしていれば二重の進行は避けられる。オプション契約後に作家側から、契約を見直すことも可能である。
その後、映画の記者発表、完成試写会や、プロモーションにも協力していただき(撮影にもカメオ出演されている)感謝でいっぱいだった。映画上映の最終日、丸の内ピカデリーでの最終回。メイン館への挨拶も兼ねて此方は行くのだが、上映終わりの観客の中に浅田さんの姿が。「この映画好きなんだよ」と言うような有難いお言葉をいただき、諸々の事も救われた気持ちになった。
その後、『蒼穹の昴』の映画化にもチャレンジさせてもらった。あまりに壮大で、映像化に時間がかかり過ぎている時に、NHKから日中合作で連続ドラマ化の話が来た。
浅田さんからは「映画化もやってね」とのことで了承を得た。このドラマは25話前後(中国は話数が多い)でNHKと、中国のNHKと言われるCCTV夜帯で同時期放送になった珍しい作品である。NHK内でのドラマの完成試写の際に浅田さんから「映画もよろしくね!」と言われたのに、未だに約束を果たせてなく、今でも自分の力不足を感じたままである。