—老体からは逃げられない。でも笑い飛ばすことは出来る—
萩原 朔美さんは1946年生まれ、2023年11月14日に77歳、紛れもなく喜寿を超えているのである。本誌「スマホ散歩」でお馴染みだが、歴としたアーチストであり、映像作家であり、演出家であり、学校の先生もやり、前橋文学館の館長であり、時として俳優にもなるエッセイストなのである。多能にして多才のサクミさんの喜寿からの日常をご報告いただく、連載エッセイ。同輩たちよ、ぼーッとしちゃいられません!
連載 第31回 キジュを超えて
何回やっても恐怖心に押しつぶされそうになる治療がある。
目の1番奥に、針を刺して薬を注入するという治療だ。加齢黄斑変性の進行を抑える為なのだ。
以前は、治療3日前から目に何回も目薬をさした。無菌状態にする為だろう。終わってからの3日間も目薬をささなければならなかった。
最近は、これがなくなった。
何で目玉に針が恐怖なのか。理由は自分では分からない。ブニュエルとダリの「アンダルシアの犬」を連想させるからなのか。あのシーンは死んだ犬の目を使用したらしいのだけれど、女性の目が開かれた直後だからたまったもんじやない。
腕や腹に針を刺されても何の恐怖も感じないのに、目は何回体験しても慣れるという事がない。やはり、視覚を失う恐怖と直結しているのかも知れない。78歳にもなって、注射を怖がって泣く子供と同じ心持ちになるとは思わなかった。(笑)
実は、これから治療を受ける順番待ちの椅子に腰掛けて、これを書いている。書いている間、少し恐怖心から逃れられる。書いたり、撮影したり、役者したり、表現活動はあらゆる恐怖を遠ざける効果があるのだ。キジュを過ぎても、自分に表現活動が残されているはありがたい。死への恐れも、表現によって軽々と乗り越える事が出来るのだ。

第30回 老いも若きも桜の樹
第29回 僻んではいません
第28回 私の年齢観測
第27回 あゝ忘却の彼方よ
第26回 喜寿を過ぎて
第25回 生前葬でお披露目する「詩」
第24回 我を唱えず、我を行う
第23回 老いは戯れるもの
第22回 引きこもりの愉しみ
第21回 楽しい会議は老化を防ぐ

はぎわら さくみ
エッセイスト、映像作家、演出家、多摩美術大学名誉教授。1946年東京生まれ。祖父は詩人・萩原朔太郎、母は作家・萩原葉子。67年から70年まで、寺山修司主宰の演劇実験室・天井桟敷に在籍。76年「月刊ビックリハウス」創刊、編集長になる。主な著書に『思い出のなかの寺山修司』、『死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日』など多数。現在、萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館の館長特別館長、金沢美術工芸大学客員教授、前橋市文化活動戦略顧問を務める。 2022年に、版画、写真、アーティストブックなどほぼ全ての作品が世田谷美術館に収蔵された。