さて、この映画で最も印象に残った場面は、何と言ってもラストの精神病院シーンである。
恐怖の島から帰還したのは城東大学の助教授・久保明ただ一人。その彼は「最後までキノコは食べなかった」と証言するが、振り返ったその顔には……、という衝撃的な結末に、底知れぬ絶望感を覚えて劇場を後にしたことを、六十年以上経った今も昨日のことのように思い出す(※2)。

一人、またひとりと姿を消す若者たちの中で、久保と共に最後まで生き残ったのは水野久美扮する歌手・麻美。水野の本名は「麻耶」といい、福田純監督『情無用の罠』(61)以降、『青い夜霧の挑戦状』(同/古澤憲吾監督)、『顔役暁に死す』(同/岡本喜八監督)、やはり福田純の『吼えろ脱獄囚』(62)などで、〝悪女〟役を本人自ら望んで演じてきた、東宝では希少な女優さんである。
岡本喜八監督『ある日わたしは』(59)で演じた、意地の悪い大学生も「もう一度やってみたい」と語っていたほどだから、やはりダーク・ヒロインに魅力を感じていたのだろう。
結局、久保も食べてしまったキノコは「成城凮月堂」製。現社長のH氏に伺うと、このキノコのレシピは今も会社に残されており、メレンゲ製であることから食べても美味しかったはずだという。道理で水野さんや土屋嘉男が恍惚の表情(?)を浮かべていたわけだ。

そんな水野が新人時代に出演した東宝映画が、『二人だけの橋』(58)という丸山誠治監督作(※3)。石鹸工場で働く女工ながらも、明るさを忘れない少女役は、デビュー作『気違い部落』(57)における肺病やみの少女にも通じる初々しさがあった。
そして、隅田川に架かる白髭橋を舞台とした、この瑞々しい下町もので水野の恋人役を演じたのが他でもない久保明、その人であった。
丸山誠治は〝丸山学校〟と呼ばれるほど、新人を育てることに定評のあった監督である。小学生時代から学校演劇をしていた久保は、すでに『思春期』(52)という丸山作品で映画デビューを果たしており、その役名をもらって、やはり丸山学校の生徒である江原達怡と共に『十代の性典』(53/大映)に出演。そこから東宝入社の道を歩んでいる。