今でもスタジオ入口に『七人の侍』と『ゴジラ』の壁画を掲げる東宝。〝明るく楽しいみんなの東宝〟を標榜し、都会的で洗練されたカラーを持つこの映画会社は、プロデューサー・システムによる映画作りを行っていた。スター・システムを採る他社は多くの人気俳優を抱えていたが、東宝にもそれに劣らぬ、個性豊かな役者たちが揃っていた。これにより東宝は、サラリーマン喜劇、文芸作品から時代劇、アクション、戦争もの、怪獣・特撮もの、青春映画に至る様々なジャンルに対応できたのだ。本連載では新たな視点から、東宝のスクリーンを彩ったスタアたちの魅力に迫る。

70年代に入ると東宝以外の映画館にもよく通った。折しも東映は任侠映画から実録路線への転換期にあたっており、そんな中で見た『昭和残侠伝』シリーズには池部良が出演(※1)。最後は高倉健とドスを片手に殴り込みをかけるも死んでしまうのが常で、これにはどうにも納得できかねるものがあった。なにせ池部は、少し前までは東宝を代表する二枚目スタアだったからだ。
元々は吉村公三郎の『暖流』(39)に影響され、映画監督を志した池部良。松竹大船の助監督試験に挑むが、脳貧血を起こして落第。それではと島津保次郎のシナリオ研究生になり、見事東宝入社を果たす。ところが戦争のため製作本数が減少、池部は希望の演出部ではなく文芸部へと回されてしまう。
そこで池部を見初めたのが女優の英百合子。「あの子、ちょっとイカスじゃない」との一言がきっかけ(※2)となり、結局は島津の『闘魚』(41)で俳優になってしまうのだから、人生はわからない(※3)。
東宝時代、池部は俳優として『雪国』(57)、『暗夜行路』(59)など重厚な文芸路線に加え、『足にさわった女』(52)や『都会の横顔』(53)といったライトコメディ路線でも大いにその存在感を示す。もちろん『恋人』(51)、『青い真珠』(同)で久慈あさみや島崎雪子と見せた瑞々しい演技も大いに評価せねばならない。今見ても、とにかく池部は若くてカッコよく、陰りを帯びた表情は実に魅力的だ(※4)。
