時間が経つと、映画の中に貴重な当時の映像が残っていることも多い。デジタル時代前では35ミリフィルムで撮影していたので、1枚1枚が貴重な写真(映画は1秒間に24コマの写真)でもある。『チ・ン・ピ・ラ』(1984/川島透監督)はローバジェット映画の為、セットを組む予算もなく、1か月の渋谷完全オールロケ。許諾をもらって撮影した場所と、そうでもない所も……。
今は無き、東急百貨店本店(渋谷)の屋上は思い出深い。昔はデパートの屋上は遊園地とかが普通だった。柴田恭兵さんとジョニー大倉さんの屋上シーンは今観てもグッとくる。その場所が無くなってしまった郷愁も加味されているのか、40数年前の渋谷を失踪する2人の姿とともにシブヤが蘇る。
悲しい想いがあるのは『千年旅人』(1999/辻仁成監督)だ。ほとんどを石川県門前町(今は輪島市門前町)の海辺で撮影した。主演の豊川悦司さん、大沢たかおさんも海から徒歩の民宿(旅館)に宿泊した。撮影前、砂浜の廃屋を見事に再生して主人公たちの滞在する館にしてくれたのは美術の種田陽平さん(『スワロウテイル』『国宝』『キルビル』等)だ。撮影後は「ロケの家」として観光客も訪れた。しかし、2024年の1月1日の震度7の地震で当時の街の姿は全く変わってしまった。当時の海岸や民家は映画の中にだけ存在することになってしまった。
面白いこともある。『病院へ行こう』(1990/滝田洋二郎監督)は主人公が最初入院していた整形外科はじめ、色んな病棟が登場する。実際はぼくの東京女子医科大学入院時の話だが、さすがにそこを撮影で借りるのは無理だ。セットを建てるのも大変な費用がかかる。ひょんなことから女子医大の外科の助教授が職を投げうって?茨城の牛久愛和総合病院の院長になった先生がいらした(1987年頃)。茨城県と聞くとちょっとロケ地としては遠い感じがするが、車なら1時間半内外で行ける。幸いに(というと語弊があるが)お客さん(患者)もそんなに多くなく、ほぼワンフロアに渡って貸してくれるらしいと。結局、病院の中のシーンの多くは愛和総合病院で撮影させてもらった。薬師丸ひろ子さん、真田広之さんも撮影に通ってもらった。
パート2(『病は気から 病院へ行こう2』/1992)の時もスタッフが撮影のことを聞いてくれたが「お陰様で満室です!」とのことで、映画の宣伝効果!? があったのか、なかったのか……。それでも、ホスピス病棟を撮影のためにゼロから設営することになり、空いている敷地を貸してもらって建てたような……。