第20回 【成城シネマトリビア】  成瀬巳喜男作品に成城の風景を見つける

 この通りの駅寄りの一角には、かつて巨体を誇った俳優・岸井明の家があり、ロケ現場の斜め前には現役最高齢ピアニストの室井摩耶子が居住。当地は他にも、作曲家の芥川也寸志、詩人の北原白秋、小説家の野上弥生子、女優では高峰秀子、八千草薫などが居を構えた、言わば文化人ストリート。東宝撮影所の裏門から歩いてすぐのこの通りは、正門前にあった大蔵団地同様、ロケ嫌い(事実はそうではなかったそうだが)の成瀬でも、気軽に出向くことができるロケ地だったのだろう。
 今この道を歩いて気づくのは、映画に写る桜の木が、随分と植え換わっていること。撮影後、半世紀以上も経っているわけだから、樹木の寿命も尽きて当然だが、つい最近まで加山雄三が成城住まいを続け、司さんも相澤英之氏との結婚・死別を経て、今も元気で成城に住まっておられることには深い感慨を覚えざるを得ない。

『乱れ雲』成城ロケ地(東宝スコープ・サイズ)。是非、映画本編と比較を 撮影:神田亨

 本作撮影後、体調不良で成城の木下病院に入院した成瀬は、69年7月に六十三歳で死去。死因は直腸がんであった。そんな成瀬が眠るのが、世田谷区大蔵二丁目にある円光寺。墓所はNHK技研の正門から砧公園に向かう道沿いに位置するので、一度お参りに行かれてはいかがだろうか。

大蔵二丁目の「円光寺」に眠る成瀬。その墓は墓地の入り口にある(筆者撮影)

(註1)実際、三船プロの元スタッフたちは、口を揃えたかのように稲垣のことを「巨匠」と呼ぶ。

(註2)新東宝で撮った『おかあさん』(52年:田中絹代主演)における、香川京子が屋台で今川焼を作る場面は、新東宝第二撮影所(旧東宝第三撮影所=のちのオークラランド)に作ったオープンセットで撮影された。

(註3)黒澤は、自著『蝦蟇の油』でこうも語っている。「成瀬さんは、短いカットを積み重ねるが、それをつないだのを見ると一つの長いカットのように見える。見事に流れていて、継ぎ目がわからない」。

(註4)当団地の最南端、かつて15号棟が建っていた辺りに作られたのが『七人の侍』の村と水神の森(野武士の騎馬が襲い来る杉小径)のオープンセット。今やこの15号棟も解体・改築され、その風景は一変している。

(註5)世田谷通り新道は、64年の東京五輪に合わせて整備・施工されたもの。

高田 雅彦(たかだ まさひこ)
1955年1月、山形市生まれ。生家が東宝映画封切館の株主だったことから、幼少時より東宝作品に親しむ。黒澤映画、クレージー映画、特撮作品には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。東宝撮影所が近いという理由で選んだ成城大卒業後は、成城学園に勤務。ライフワークとして、東宝を中心とした日本映画研究を続ける。現在は、成城近辺の「ロケ地巡りツアー」講師や映画講座、映画文筆を中心に活動、クレージー・ソングの再現に注力するバンドマンでもある。著書に『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)、近著として『今だから! 植木等』(同2022年1月刊)がある。

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